仏教余話

その88
もっとも、ナーガルジュナに対する評価は、別な角度からも、依然として高いのも確かである。現代のバリバリの研究者、石飛道子博士は、こう絶賛する。
 このような書き方をする〔ナーガルジュナ作『方便心論』のような〕書物は、これまでインドには全くなかったし、またその後も現れなかった。純粋の論理学書ということになると、この書は、むしろ、現代論理学を生んだフレーゲの『概念記法』のような書き方を意識する方が理解が早いだろう。(石飛道子『龍樹造「方便心論」の研究』、平成18年、pp.17-18、〔 〕内私の補足)
現代論理学などといわれると、私にはお手上げだが、関心のある方は、是非、石飛博士の著書を1読されたい。尚、石飛博士は、ネット上でブログも開いているので、そちらも、合わせて、参考にしてもらいたい。なかなか、面白く、しかもためになるブログである。インド論理学を中心としている。前の復習という意味でも、有益なので、以下に紹介しておこう。
 インド論理学は、結局のところ、西の横綱、仏教と、東の横綱、二ヤーヤ学派とのそれはそれは激しい論争史としてまとめられるのです。知力を尽した戦の後、生き残ったのは二ヤーヤ学派でした。しかし、それは仏教に論争で勝ったためではなく、イスラム教徒の侵攻により仏教の寺院が破壊されて、インドで仏教が滅んでしまったことによるのです。まったく惜しいことです。好敵手を亡くしたニヤーヤ学派は、後に、先ほど書きましたナヴィヤ・ニヤーヤ〔新ニヤーヤ〕学派へと変身していくのですが、その論理学的価値は、以前ほどの輝きがあるようには見えません。一人横綱は、あまり強くなれないのです。ま、とにかく、13世紀以前のインド論理学をまとめて「論争の論理学」と名づけておきましょう。ここには、本当に輝かしい人々が、インドの哲人たちが名を連ねています。管理人など、あまりの輝きに目が見えなくなりそうです。サインをもらうために色紙が束で必要です。名をあげますと、正横綱、龍樹(大乗中観派開祖)、東の横綱はガウタマ(ニヤーヤ学派の開祖)、あと大関が、ディグナーガ(仏教)とヴァーツヤーヤナ(ニヤーヤ)関脇がウッディヨータカラ(ニヤーヤ)とダルマキールティ(仏教)以下たくさん、と続きます。正直いって、論理学が真の意味で生きていたのはこの時代だと思います。西洋の論理学を圧倒的に超える優れた考えがバンバン出てきた時代です。それなのに、この時代の研究は、それぞれ部分的に専門の学者が研究しているだけで、論理学の一大スペクタクルとして見るような人はまだいません。そこまで、まだ研究が進んでいない状況なのでしょうか。ああ、グチは言うまい、こぼすまい。(石飛道子博士のブログ「インド論理学の文献あれこれ、それにインド論理学研究史も」から抜粋、〔 〕内私の補足)
面白おかしく書いてあるが、石飛博士の記述は正しい。ただ、ここに、世親の名が欲しい。
上の人々の議論は、すべて、世親に始まるといっても過言ではない。しかし、従来、その視点は等閑にされがちであった。というのも、世親の『倶舎論』は、どちらかというと、旧来の古い分野、仏教論理学は、伝統のしがらみを離れた新しい分野として、研究されてきたので、両分野をリンクさせるような見方は、あまり、されてこなかったからである。
ここでは、両分野をリンクさせる試みを目指しているのである。ともあれ、石飛博士のブログは、機会があれば、参照されたい。
 

いいなと思ったら応援しよう!