仏教余話
その175
そして『サーンキヤ頌』の第二頌はその後半においてサーンキヤ
哲学の意義を述べているが、『草枕』も続けて次のように言う。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊という。
この部分は『草枕』の思想の根幹を述べているものである。「人の世」に踏みとどまって、その世界をいささかなりとも住みよくするにはどうしたらよいか、それが『草枕』において作者が自らに課した課題である。以上のように、冒頭部分の構成は両者非常によく一致し、『サーンキヤ頌』の構成を踏まえながら、漱石は芸術家としての自分に思想によって書き換えている、と言えるであろう。(今西順吉『『心』の秘密 漱石の挫折と再生』、
2010,pp.298-304,〔 〕内は私の補足)
かなり長い引用になったが、十分に読み応えがあったと思う。焦点となっている『金七十論』についてだけ、若干の情報を付け加えておこう。本田惠博士は、こう述べている。
金七十論は〔インドの他学派の論書〕「勝宗十句義論」と並んで、漢訳蔵経中に現存する貴重な〔インド正統派である〕六派哲学の文献である。而も現存のサーンキヤ頌〔サーンキャ・カーリカー〕に対する諸註釈中最も古いものとして、注目に値する。即ち、翻訳者真諦は、西暦五四六年に南シナに着いているから、少なくとも、金七十論はそれ以前になしたものである事は動かせない。(本田惠『サーンキヤ哲学研究』上昭和55年、p.586,〔 〕内私の補足)