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早逝した次女と自作のパジャマ(昭和8年)

曽祖父保次郎一家が日本に帰った後、次女ヒメコは新潟の女学校時代(1930年代)に病死しました。

自宅がかなり田舎だったので女学校の寮に入っていたのですが、そこで同室だった方から結核に感染しました。その方はその後回復したそうですが、ヒメコは亡くなりました。

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この写真は女学校時代に撮ったもので、台紙にはこう書かれています。

昭和八年五月下旬
十七才
このパジャマは自分で作ったもの。妹は病気療養の為家に帰って居た。

「妹」とあるので、これは曽祖父ではなく祖母が書いたのでしょう。この写真を撮ってから間もなく亡くなったと聞いています。

そんなわけで、私はこのヒメコさんという大叔母には会ったことがありません。祖母たち姉妹の中では一番美人だったこの人が、もし生きていたらどんなおばあちゃんになっていたのかなあ、とよく思います。

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