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我が懐かしきジョイラック

古書店で本を眺めていたらエイミ・タンの小説『ジョイ・ラック・クラブ』を見つけた。これはアメリカで89年に発売され、93年には映画化もされた作品である。
背表紙に記されたこの『ジョイ・ラック・クラブ』という文字に、僕の胸は深い郷愁に打たれた。
と言って、この小説を読んだことはない。映画を見たわけでもない。
そもそもどんな話なのかも知らない。
ではなぜか。

VHSを使っていた世代の人には馴染み深い習慣だろうが、昔はどこの家庭にも「誰が使ってもいいビデオテープ」というものが一本はあったものだ。
家族各々が「一回見れれば良い」程度の番組を録画し、次から次に上書きされていく。というのが共用テープの役割である。
ちなみに、背にあるツメを折れば上書き出来なくなり、いわゆる「永久保存版」となることも、今の若い人は知らないだろう。

当然、僕の家にも家族共用のビデオテープがあった。
そのVHSは、内容物を示すための背に貼られたシールが剥がされ、そこにうっすら残ってあるシールの残骸に母の筆跡で「ジョイラッククラブ」と記されてあった。

元々は母が録画した映画『ジョイ・ラック・クラブ』が収められていたのだろうが、何度も何度も上書きされて、ジョイラッククラブは跡形もなくなっていた。

共用テープをめぐり、以下のようなやり取りが我が家ではよく交わされた。
姉「お母さん、なにか空いてるビデオない?」
母「ジョイラック使っていいよ」
とか
僕「これジョイラックで録っていい?」
母「いいよ〜」

斯様に「ジョイラック」という言葉は僕の家では一つの符牒のようなものだった。

古書店で僕はそんな子供の時代のことを思い出していた。

「ああ、懐かしいな。この機会に読んでみようかな」と思った。

でも僕はエイミ・タンが著した本を手に取ることもせずに店を出た。

我が懐かしき「ジョイラック」に関する思い出のツメを折り、これ以上上書きするのは止めておこう、と思ったからである。

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