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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜63 『清潔で、心地よく明るいところ』

 東急花丸線の住良すみよい駅で降り、改札を抜け左側の長いエスカレーターを下ると、長い商店街が西に向かって伸びている。商店街を進み、三つめの角を左に曲がって少し行った所に一見すると何の店なのか分からないような佇まいでその喫茶店はある。

「清潔で、心地よく明るいところ」とだけ書かれた三角看板が店先に置かれているだけなのだが、実はそれが店名だ。文学好きの方であればピンとくるかもしれないが、これはアーネスト・ヘミングウェイの短編小説から取られた名前だ。

 喫茶店といっても昼間は営業していない。早い時で夜の八時、大体いつも十時頃から店を開け、夜明けまでやっている深夜営業の喫茶店だ。カフェではなく喫茶店なのでアルコール類の提供はしていない。

 そこは眠れぬ、孤独な者たちが集う喫茶店。

 孤独な者たちが夜な夜な集い、思い思いの時間を過ごす。本を読んだり、なにか書いたり、ただぼーっと音楽に耳を傾けたりしている。

 歩くとギシギシと軋む木の床。煉瓦作りの壁一面に本棚があって色んな種類の本が置かれている。そこにある本が欲しければ、自分の蔵書を持っていけば交換してくれる。JBLのスピーカーからはよくエタ・ジェームスやスマイリー・ルイスといった古いリズム&ブルースのレコードが流れている。でもマスターは気まぐれなので、西田佐知子が流れたと思ったら、ソニー・ロリンズになり、デヴィッド・ボウイのあとに、笠置シヅ子が登場する。

 わたしはよくそこに行き、出演する舞台の脚本を覚えている。

 いつしか創作活動をする人やそれに興味を持つ人が集まるようになっていったそうだ。様々な情報が交換されるサロンのような役割を果たしている。実際ここで知り合った人同士で新たな作品が生まれていった。わたしも演劇関係者の人と出会い役を貰ったことがある。

 この店の雰囲気がわたしは好きだ。そこに集う人たちも、それからマスターも。

 マスターは面白い人だ。お店が暇な時はよくギターを弾いている。みんなから一目置かれていて、よく常連客が書いた詩や小説、脚本なんかの感想を求められている。噂では昔ラジオ番組のために朗読原稿を書いていたことがあるらしい。映画を撮ったりもしていたそうだ。

「役者なら、つまんねえ作品に出ちゃだめだぜ」とわたしはマスターに言われたことがある。「損するのは君なんだから」

 ある日わたしは店の本棚でマスターが書いた本を見つける。それは彼が自費出版したものだった。『木曜日の恋人』というタイトルだった。わたしは席に戻りそれを読んだ。「はじめに」という項目で、この本が書かれたいきさつが書いてあった。わたしは衝撃を受けた。

「マスターって、東別府夢さんのラジオ番組の原稿書いてたんですか!?」

「ん、ああ、そうだよ」

「わたし、東別府さんに憧れて女優になろうって思ったんです!」

「え、ああ、そうなの?」

「そうなんです。『黄昏に鳴くウグイス』って映画に出てたじゃないですか。あれ見てもうすっかり感動しちゃって」

「あれみんな良いっていうけど、そんなに良いかあ?」

「めちゃくちゃ良いですよ!」

「ふうん。そんなに好きなんだ。彼女一回だけここに来たことあるよ」

「え、嘘!」

「開店した直後に来てくれたんだ」

「どこ座ってました??」

「ああ、ちょうど今君が座ってる席だよ」

「えー。ここわたしの指定席にしてください!」

 マスターはにやりと笑った。


 今日もわたしは「清潔で、心地よく明るいところ」にやって来た。

 昨日こんなことがあったのだ。常連客の一人であるエッちゃんという女の子が、占いを勉強していると言ってみんなを占ってくれた。

「マスターも占ってあげる。生年月日教えて」

「1983年10月17日」とマスターは答えた。

「え、ちょっと待って、マスター明日誕生日?」

「そうだよ」

「早く言ってよー」とエッちゃんは言って、それから他の人たちに向かって言った。

「みんなー、明日マスターのお誕生日会するからプレンゼント持ってきてね!」

 そうして今日、いつもこの店に集まる人たちがマスターへの贈り物を持参して来た。

「マスター、おめでとう。はい、これプレゼント」とエッちゃんはマスターに人形を渡した。「これ、メネフネっていうハワイの妖精なんですよ。わたし去年ハワイに行ってきたんですけど、一緒に行った先輩が買ってて可愛いなと思ってわたしも買っちゃって、でもマスターにあげる」

「ありがとう。ここに飾っておくよ」と言ってマスターはレジの横に置いた。

 わたしは満寿屋で買ってきた原稿用紙を渡した。

「マスター、これに『木曜日の恋人』の新作書いてくださいね」

「え?」

「わたし、マスターの作品がもっと読みたいです」

「分かったよ、ありがとう」彼は嬉しそうに笑った。

 それからマスターは店に置いてあるエレキギターをアンプにつなげ、ギターを弾き始めた。ビートルズのバースデイだった。わたしたちはリンゴ・スターになりきって膝を叩きリフとリフの合間を埋めていった。

 パーティーが落ち着いた頃、お客さんが入ってきた。見たことのない人で、彼は隅の席に座った。やがて彼は店の常連になり、わたしたちは話をするようになり……、それはもう少し先の話。

 最後に店名の由来になっているヘミングウェイの小説を引用しよう。


「わたしはね、カフェに夜更けまでいたい人間の仲間なんだよ」と年上のウェイターは言った。「寝床に入りたくない人間みんなの仲間なんだ。夜の明かりが必要な人間みんなの」


 

「清潔で、心地よく明るいところ」。この喫茶店はそういう人たちのためにいつもドアが開かれている。様々な出会いがあり、今日もまた新たな作品が生まれていく。



・曲 The Beatles / Birthday


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は10月17日放送回の朗読原稿です。

実は本日10月17日はわたくしのバースデイであります。こんなお店のような深夜営業の喫茶店をやるのが夢でして、それで書いてみました。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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