プロ選手を目指したキッカケ
人生にはいくつかのターニングポイントがある。
強烈な出会いや大感動した出来事を経て、そこから自分の人生が大きく変わった、ということは多くの人が経験したことがあるのではないだろうか。
あるいは、挫折したことや誰かに負けた経験が自分の心に火をつけて必死に取り組むようになったか、ではないだろうか。
僕は幸いなことに、挫折も感動も経験したことがあり、プロバスケットボールプレイヤーを目指すようになった。
○香川がbjリーグに参戦
僕がプロを目指そうと思った1番初めのキッカケは、小学6年生の時、bjリーグに香川が参戦し、当時知っていたバスケと環境も迫力も全く違うことに感動したことだ。
初めて見る外国人籍選手のデカさと能力の高さに圧倒され、大観衆で大きな音を出して盛り上げる会場の雰囲気や演出、会場に良い匂いをさせる美味しい出店、シュートを決めまくる日本人選手に魅せられ、「なんてかっこいいんだ!」と大感動したことが1つ目のキッカケである。
○中学最後の総体
2つ目のキッカケは、中学最後の総体で地区1回戦敗退したことだ。
僕の母校は近くにミニバスが無く、中学からバスケを始める人が多かった。それでも長年に渡って同じ先生が見続けていて、毎年強いチームを作り県大会に出場して強豪校を苦しめることが多かった。
特に僕の一個上の先輩方は選手のバランスも良かったし、先生の指導ともマッチしていて、OBの方が来ても勝てるほど充実していた。ミニバスも強く、その選手たちが進学する県内で1番強かった中学にもガチンコ勝負で競り勝つほどである。
そんな一個上の先輩方と楽しい1年を過ごしたが、自分の代になった時、ミニバス経験者は自分1人、同期も4人、後輩たちも全員中学から、という状況になった。
それに追い討ちをかけるように、今までずっと見ていた先生も離れることになり、自分たちだけで考えて練習することになった。
いくら経験者といってもそこまで知識もなく、知恵もなかったため、今までの経験を伝えたり、バスケの本を買って読んだり、OBの方に頼ったりと同期4人で必死に考えながら1年を過ごした。
しかしながらそんなに甘いものではなく、中学最後の総体は地区1回戦敗退。
人生で一番悔しかった試合だったと記憶している。
その悔しさがキッカケとなり、今までの進路相談では高松の進学校に行く予定だったが、「強いチームでバスケしたい」と心から思い、急遽進学先を高松から電車で1時間かかる某高校に変更した。
もちろん両親や担任の先生の大反対も受けた。
担任の先生には見放されたが、両親は、「バスケと勉強の両方をきちんとやること」を約束したらなんとか認めてくれた。
両親が認めてくれたことが1番のキッカケだったかもしれない。。。
続きは次回に。お楽しみに!
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