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草野球がうつ病を治した

照明がまぶしかった。


球場の芝生は荒れていたが、僕にとっては緑の絨毯のように見えた。夢のような光景だった。


「僕は生きている」。


体の中を熱い血が流れるのを感じた。もう何年も味わっていない生きる喜びが体の奥から湧き上がってきた。


僕は40歳の時に重度のうつ病になった。仕事に押しつぶされたせいである。


某新聞社のデスクをしていたが、朝10時から夜中2時過ぎまでの勤務が状態化していた。

朝は記者からその日の出稿を聞き取り、朝刊にどういった記事を載せるかメニューを作る。

15時までに、他部のデスクと協力しニュースの重要度を判断しながら、どの記事をどこに、どの程度の分量で載せるのか紙面全体のレイアウトを決めて、編集局長の前でプレゼンする。

様々な角度からの質問に答えられるように準備する必要がある。

その間も企画会議がいくつかあり、頭を切り替えて対応しなければならない。

夕方6時過ぎると、記者からあがってきた原稿を直し、完成品に仕立てる作業に入る。若い記者からあがってきた原稿は大幅に修正しなければならない。

21時、22時30分、24時、25時30分、と4段階の締め切りがあり、突発的なニュースが入ってくると紙面はがらりと入れ替わる。分刻みの対応を常に強いられ息つく暇も無い。

26時に仕事が終わると、明日の紙面について打ち合わせが始まる。120%の能力を使ってようやくこなしている感じだった。

ぼろぞうきんのようになって、タクシーで家に帰る。


その日は特に忙しく、自分が担当する紙面の編集作業に入れたのはいつもより1時間以上遅い19時30分だった。

あとたった1時間半で、10本以上の原稿を直し、記者に電話して確認し、完成品に仕上げなければならない。


「どう考えても無理だ」。


絶望的な気分になったときに、意識が遠のき、僕は床に倒れた。


社内は大騒ぎになり、救急隊員がやってきた。


「名前を言ってください」。


そういわれたが、僕は舌がもつれて、


「あ、あ、あ」

としか言えない。急ぎ救急車で運ばれた。

車内で計測した血圧は、200を軽く超え、血圧測定器の針が左に大きく振れて計測不能を示した。

危険な状態だった。


幸い、脳梗塞の状態は軽く、点滴で凝固していた部分は流されたようで、手術はしなくて済んだ。

しかし、僕の脳はうつ病になっていた。


2週間で退院して家に戻っても、ベッドに寝たきりでまったく気力が涌かない。

何も考えられず、1日中ぼーっとしていた。

体中のエネルギーがゼロになっている感じだ。まばたきをするのさえおっくうだった。

脳に関しては、ソフトではなくハードディスクが壊れた状態だった。


まさかそれから4年間、うつ病に苦しめられるとは当時は思いもしなかった。

新聞社のデスクなのに、新聞を読んでも意味がわからない、自分がとてつもなくつまらない人間に思えて仕方ない、この世から消えてなくなりたい。苦しくてしかたなかった。


うつ病4年目に入って、少しずつ改善の兆しがでてきた。普段の生活はまともにできるようになり、仕事も少しずつだがこなせるようになってきた。


そんなある日のことである。


「野球がやりたい」。


ふとこんな考えが強く頭にもたげてきたのである。


 僕は子どもの頃運動がとても苦手だった。

僕が子どものころはまだ長嶋選手や王選手が現役でプレーしていたころで、男の子の遊びと言えば野球だった。

原っぱに自然に子どもたちが集まり、草野球を楽しんだ。

僕は下手なので、いつもライトを守らされ、打順も8番か9番だった。三振ばかりで、守ってはエラー。

「いつかうまくなりたい」。

そう思いながら強いコンプレックスを抱いていた。


なぜ45歳にもなって、突然野球がやりたいと思ったのか、今でもよくわからない。

今思うと、僕はうつ病であることに対し、ある種のコンプレックスを抱いており、それを解消しようという思いが、子どものころコンプレックスだった野球をなんとか克服したい、という気持ちに結びついたのかもしれない。

入れてくれそうな野球チームを探したが、45歳で野球は未経験、というと快い返事をしてくれるチームは少なかった。

ようやく、家から1時間半かかる埼玉のチームが入部を認めてくれた。


入部早々、初めてが午後7時からのナイターの試合だった。その日はメンバーがちょうど9人で、僕はライト、9番で試合に出してもらえた。


「大人になってもライト9番か」。


心の中で苦笑いしたが、いきなり試合ができるのはとてもうれしかった。


自分でもびっくりしたが、意外にボールの動きはよく見えた。1打席目はセカンドゴロ、2打席目はサードフライだったが、バットにちゃんとあたっただけでもうれしかった。


最終回、1点負けている状態で、なんと満塁で僕に打席が回ってきた。チームのみんなが応援してくれる。

意外に緊張はしなかった。野球ができるうれしさのほうが怖さを上回っていた。


1ストライク2ボールの4球目。真ん中高めの球を僕は無心で振った。

ボールはライナーでショートの正面に飛んでいった。

ショートがジャンプする。

グラブをわずかにかすめてボールはセンター方向へと飛んでいった。セカンドランナーまでホームに帰ってくる。逆転だ。


最終回の裏は0点に抑え、試合に勝った。僕は握手攻めにあい、初めて会ったチームの仲間に歓迎された。何よりうれしかった。


それから12年。僕は57歳になったが、いまだに草野球を続けている。

いまはうつ病はすっかり消えた。


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