見出し画像

鷹 60周年記念号の対談メモ

先月鷹俳句会に入った。そうして今月送られてきた結社誌の『鷹』の7月号がちょうど創刊60周年記念号だった。

これが気合満点である。

小川軽舟主宰と、奥坂まやさんの第一句集が収められているという豪華さに加えて、対談がすごい。

「師と生きる」  水原紫苑 × 小川軽舟
「私にとっての第一句集」  高野ムツオ × 今井聖 × 鴇田智哉 × 奥坂まや

である。注目すべき記事は多数あるのだが、この対談が面白かったので、印象深かった言葉と、考えたことをメモする。

「師と生きる」  水原紫苑 × 小川軽舟

小川 師匠のタイプっていろいろあると思うんです。名伯楽と言うんでしょうか、弟子に対する教え方がうまくて、それぞれの個性を伸ばす、コーチとしての力量がある人っていますね。
水原 そうですね。
小川 その一方で、詩人としての魂を、奥義を弟子に伝えるみたいな。
水原 あ、そういう人もいますよね。
   (略)
小川 湘子はどっちかと思うと、まあ、まず名伯楽だったと思います。手綱を引きながらそれぞれの弟子の個性をうまく伸ばすというところがあって。だから、特に初心者指導はすごくうまい人で、『20週俳句入門』という入門書は今もベストセラーです。
水原 ああ、そうですか。
小川 それと同時に、私には俳人としての生き方を示そうとしてくれました。「一流になれ」というのが口癖でしたが、それは湘子自身の生き方でもあった。
   (略)
小川 名コーチか、自分の魂を伝えるかということで言うと、春日井さんはどんな感じだったんですか。
水原 どう考えても後の方ですね。
小川 魂の方ですか。
水原 はい。絶対そうですね。

p.38-39

僕はどれだけ、先生方の魂を受け取れているだろう。大きい結社の先生や、メディア露出の多い先生はきっと、直接な指導だけではなく、人前での話や選評にも魂をこめていると思う。

俳句の道を深めていくためには、そうした言葉の端々から、先生の魂に感応していくことが重要だと思っている。

小川 湘子の弟子はみんな、湘子に似ていないんです。
水原 面白いですね。
小川 それが鷹のいいところで、結社によるんですよ。みんな師匠に似る結社もあるけれど、鷹は、似ないのがいいところで。鷹に私を真似したような作風の弟子が出てきたら、多分、これなら私のほうがうまいと思ってしまう。そうじゃないものが出てきたときの方が面白いんですよ。

p.41

僕は良くも悪くも人の真似をするのが苦手で、誰かが使った句材や目新しい単語もできるだけ避けたい派である。

だが、型に関してはかなりハマりがちだ。そして、型によって発想や思考のパターンが規定されてしまっているときがある。このままだと、誰かの作風に似ていく可能性は十分にあると思っているので、気をつけて進んでいきたい。

「私にとっての第一句集」  高野ムツオ × 今井聖 × 鴇田智哉 × 奥坂まや

今井 (略)雑誌の主宰作品のところだけコピーして出席者に配り、僕が鑑賞して是非をみんなに問う。それを二十誌、三十誌やるんですよ。そうするとね、目の前にいるのに悪いけど、高野さん、抜群なんですよ。ほかはほとんど駄目、主宰は。だから、恐らく自分も駄目になっていると。
 つまり、受け身になって自己保身。ここまで到達したんだから、みっともないとこ見せられないという意識が入る。恐らく誓子も草田男も、みんなそうですよ。草田男だって、晩年ろくなものないですよ。
 そうすると何かというと、結局、弟子が褒める、下手な句を褒めてくれる。またおんなじような句を作る。素材も同じ、みたいなことになるから、誓子だって堕落していくし。
 だから、高野さんが不思議なのは、ふんどし脱いで、木に登ってゆくような句を作るんですよ。下から肛門丸見えなんですよ(笑)。
高野 ああ、いいこと言ってくれるなあ。
今井 だからね、よくこんな句ができるなあと思って。いや、いるから褒めるわけじゃなくて。
高野 今日はいい日だ。
   (略)
高野 私、俳句を作る時に、自分の師匠の鬼房と兜太の顔がまず見えてくるんです。そうすると、変におとなしい、まとまった、誰にもわかりそうな俳句ができると、兜太は怒った顔になる。鬼房は悲しそうな顔をして……(笑)。
奥坂 悲しそうな顔の方が、来ますねえ(笑)。
高野 そうそう。「そうかァ、お前を『小熊座』の主宰にしてしまったために、こんな俳句しか作れない人間になってしまったのかね」、オイオイと泣いているような顔が見えてくるわけよ。
 兜太は「何やってるんだ、お前。まだこんなあたりを気にした、ふらふらした俳句を作ってるのか」って怒る。そういう顔を、俳句作るたびに思い浮かべる。だから、何とか、次はそういう顔をさせるような俳句を作りたくない。そう思って作っているから、もしかしたら、今、「肛門見える」と言ってくれたけど……。
今井 ふんどし脱いで上がっていくから。
高野 脱ごうとする意欲ぐらいは伝わったのかね。

p.80-81

ムツオさんの声が蘇る 笑。

主宰クラスとは別の次元の話だが、僕の周りで、望外の評価をもらったあとに、俳句を作れなくなってスランプに陥る人が一定数いた。それは「過去の評価に恥ずかしくない句」をつくろうとすることに起因すると思っている。

道筋がわかっていないのに、たまたま生まれた佳句のアプローチをなぞろうとしたり、無理にそのアプローチを適用したりして、八方塞がりになる。そんなふうに外からは見えた。

俳句が上達すると、そうしたアプローチの仕方もわかって、同じ路線で色んな句をつくれるようになるのだろう。でも、それでは新しい句境は拓けない。

とはいえ、同じアプローチを反復したり応用することで「技を深める」という側面もあるはずで、どこまでは芸を深めることになり、どこからが自己模倣になるのかの線引きが難しい気もする。

僕としては、過去の自分をなぞろうとした瞬間、俳句を詠むのがつまらなくなるから、ひとまずはその基準でいこうかなと考えている。

奥坂 (略)湘子先生は特に自己模倣には厳しかった。最初、作者がわからないと「いい句だ」って褒めておいて、作者が名乗ると、取り消しになるんです。もう私、何度取り消しになったかわからないんですよ。「お前、こういう句があるんだから、これじゃもうおんなじ世界なんだから、取り消しッ」と言って取り消されちゃうんですね。
 だから今も、その顔が思い浮かんで、取り消しかどうかと考える。取り消されないように作りたい。でも、そのためには、ほんとに机の上でうなっているだけじゃ絶対駄目で、外に行って、それこそ風の音を聞いたり何か見て、木に触れたりとか……。それはとても大事なんです。
 とにかくそのために足を大事にしています。足がないと歩いて外に行けないから、そのために健康にはなるべく注意して、とにかく外に出て、物に触れて、そしてその物と言葉が一致するような ーー それはなかなかないわけですけど、そういう俳句が作りたいです。

p.82

これは厳しくも、羨ましい話でもある。

自己模倣を理由に取り消しをするためには、弟子の過去の作品や作風もきっちり頭に入っている必要があるわけで、そこまで見てくれる師っていうのは、なかなか得難いと思う。

外からの刺激を受けるために、足を大事にするっていうのもいい話だ。僕は親父から「目と歯は大事にしろ」と言われていたが、そこに「足」も加えたい。

高野 (略)少ない数の俳句にも、この二十年の様々な歩みがあるわけですよね。あっちにぶつかったり、こっちにつまずいたり、意外にも良い世界にたどりついていたりとか。それは実は、俳句を作っているその時は見えていなかったんだ。句集を編んで初めて見えてくる。
 これは第一句集だけじゃないよ。第二句集、第三句集でもそうだ。それを一冊にまとめることによって、自分が ーー 鴇田君の言い方をすると、もう一人の自分ということになるんだけど、句集そのものは、もう一人の自分をそこに可視化させる。そしてそのもう一人を俯瞰する目というものも備わってくる。できた句集そのものが「あんたはこれからこういう俳句を作りなさい、こっちのほうに行ったほうがいい」とおのずと示してくれる、そういう力を句集は持つものだと思うんです。
 特に第一句集は、そういう大きな意味合いが強いと思うの。

p.85

これまで句集をつくるということを、ちゃんと考えたり、目標にしようと思ったことはなかった。漠然と「いつか作れたらいいな〜(夫婦で)」くらいにだけ思っていた。

ただ、このムツオさんの言葉を読んで、初めて句集をつくってみたくなった。自分を励ましてくれるような伴走者として第一句集があって、末長く俳句を続けていけるならば、それは素敵なことだと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?