先月鷹俳句会に入った。そうして今月送られてきた結社誌の『鷹』の7月号がちょうど創刊60周年記念号だった。
これが気合満点である。
小川軽舟主宰と、奥坂まやさんの第一句集が収められているという豪華さに加えて、対談がすごい。
「師と生きる」 水原紫苑 × 小川軽舟
「私にとっての第一句集」 高野ムツオ × 今井聖 × 鴇田智哉 × 奥坂まや
である。注目すべき記事は多数あるのだが、この対談が面白かったので、印象深かった言葉と、考えたことをメモする。
「師と生きる」 水原紫苑 × 小川軽舟
僕はどれだけ、先生方の魂を受け取れているだろう。大きい結社の先生や、メディア露出の多い先生はきっと、直接な指導だけではなく、人前での話や選評にも魂をこめていると思う。
俳句の道を深めていくためには、そうした言葉の端々から、先生の魂に感応していくことが重要だと思っている。
僕は良くも悪くも人の真似をするのが苦手で、誰かが使った句材や目新しい単語もできるだけ避けたい派である。
だが、型に関してはかなりハマりがちだ。そして、型によって発想や思考のパターンが規定されてしまっているときがある。このままだと、誰かの作風に似ていく可能性は十分にあると思っているので、気をつけて進んでいきたい。
「私にとっての第一句集」 高野ムツオ × 今井聖 × 鴇田智哉 × 奥坂まや
ムツオさんの声が蘇る 笑。
主宰クラスとは別の次元の話だが、僕の周りで、望外の評価をもらったあとに、俳句を作れなくなってスランプに陥る人が一定数いた。それは「過去の評価に恥ずかしくない句」をつくろうとすることに起因すると思っている。
道筋がわかっていないのに、たまたま生まれた佳句のアプローチをなぞろうとしたり、無理にそのアプローチを適用したりして、八方塞がりになる。そんなふうに外からは見えた。
俳句が上達すると、そうしたアプローチの仕方もわかって、同じ路線で色んな句をつくれるようになるのだろう。でも、それでは新しい句境は拓けない。
とはいえ、同じアプローチを反復したり応用することで「技を深める」という側面もあるはずで、どこまでは芸を深めることになり、どこからが自己模倣になるのかの線引きが難しい気もする。
僕としては、過去の自分をなぞろうとした瞬間、俳句を詠むのがつまらなくなるから、ひとまずはその基準でいこうかなと考えている。
これは厳しくも、羨ましい話でもある。
自己模倣を理由に取り消しをするためには、弟子の過去の作品や作風もきっちり頭に入っている必要があるわけで、そこまで見てくれる師っていうのは、なかなか得難いと思う。
外からの刺激を受けるために、足を大事にするっていうのもいい話だ。僕は親父から「目と歯は大事にしろ」と言われていたが、そこに「足」も加えたい。
これまで句集をつくるということを、ちゃんと考えたり、目標にしようと思ったことはなかった。漠然と「いつか作れたらいいな〜(夫婦で)」くらいにだけ思っていた。
ただ、このムツオさんの言葉を読んで、初めて句集をつくってみたくなった。自分を励ましてくれるような伴走者として第一句集があって、末長く俳句を続けていけるならば、それは素敵なことだと思う。