句姿を整えやすくなる『俳句講座 季語と定型を極める』
『音数で引く俳句歳時記』が気になっているのだが、いつの間にか姉妹編が出版されていた。
である。巻末に音数別季寄せの付録もついている。僕がnoteに書いてる本は、大体図書館で借りているのだが、これは吟行でも便利そうなので購入した。
『十七音の可能性』を読んだ時も思ったけど、岸本先生の説明は平明で、文章に衒いがなくて読みやすい。
今回の本では、どうやって音を調節して韻律を整えるかについて、季語を中心に主要パターンを解説している。「句姿が整っている」という褒め言葉があるけど、そのための心得がまとまっていると思う。基本形にそぐわないときに、どういうふうに句姿を整えていけばいいのかの手引きになるだろう。
そんなわけで参考になる箇所は多いのだが、個人的には、上五を「や」切りにすべきか、助詞にすべきかのパートが熱かった。
というのも去年の道後俳句塾にて、僕は自信満々で「河童忌に〜」で始まる句を提出して、先生方から「ここは、やで切るべきでしたね」と指導頂いたのである。
以後もわかったような、わからないような感じだった。わからなくて以後は、「ええい、とりあえず、やで切っておけい」と無難に「や」切りをすることが増えたと思う。
そんな状況だったので、ちょうど渡りに船な感じで嬉しかった。このパートについて少し抜粋しておく。
上五の季語とそれ以外の部分がつながっているか、切れているか。そこは本質的な問題ではありません。重要なのは、句の形にいろいろな選択肢があるということ。そのなかから好ましい形を選べばよいのです。
水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太
《水澄むや四方に関ある甲斐の国》では「や」の切れが強すぎる。むしろ「水澄みて」となめらかに中七につなぐ句形を龍太は採用したのです。
Q 上五に4音の季語をもってくるとき、そこに「や」を置くか、助詞でつなぐかの選択に、基準のようなものはありますか?
虚子に好例があります。
大寒や見舞いに行けば死んでをり 高浜虚子
大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
前者は至極まっとうな句形です。後者は、「大寒の埃」のように人が死ぬのではなく、「埃の如く人死ぬる」という事柄が「大寒」のことであった、という意味です。「の」が軽い切れの働きをしているのです。しかし「大寒や」だと切れがはっきりしすぎる。「大寒」と「埃」をつかず離れずにしたい。そういう心持ちです。
同様の例はたくさんあります。
卒業の椅子いつせいに軋みけり 齋藤朝比彦
晩春の肉は舌よりはじまるか 三橋敏雄
小町忌の歌膝ゆゆし九十九髪 高橋睦郎
月光の象番にならぬかといふ 飯島晴子
秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな 中村汀女
冬眠の蝮のほかは寝息なし 金子兜太
なんとなくつながっているという体にすると、上五の気分が隣接する名詞だけでなく、離れた名詞にもつながってゆきます。このような上五の「の」を理解し、使うためには、ある程度、俳句に目が慣れる必要があります。
逆に言うとこうした、つかず離れずな軽い切れを生みたいとき以外は、「や」で切るのがセオリーなのだろう。岸本先生、ありがとうございました!