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最近、思っていること ~教育って~

久々のnoteへの投稿です。学校も忙しかったのですが、学校以外に関わったものもなかなか忙しくて、noteもご無沙汰しておりました。今回は、最近私がふつふつと思っていることをまとめてみようと思います。

生まれたところに住んで、生まれたところの教育を受け、仕事場に通えるところに住む、ということを当たり前のように受け入れてきましたし、そこに何も疑問を感じませんでした。

国によって、生まれたところによって全く違う、これで本当にいいの?じゃぁ、どうするの?ということが表面化したのが今の時代なのかな、それが経済に結び付くとSDGsなのかな、と。

これからは、全部を自分で選ぶ、という時代になる、または、なりつつあるのかもしれません。どうも世の中がその方向へ進んでいるとを感じます。

今までのように、みんなが同じ定食を食べるのではなく、アラカルトが求められると。自分はどう生きたいのか、情報を自分で調べて、選んで、住みたいところに住みながら働いて、色々な人と繋がり、受けたい教育を選び、生涯にわたって学び続ける。

今後の教育はそのために必要なこと、簡単にまとめると「色々なデータや情報にアクセスし、判断し、利用する方法」、そして「文化的価値=多様性は価値である」の2つ。これらをもっと現場で取り上げないといけないのではないか、と感じています。

生きるという意味において、自分の文化的価値、幸せ感を理解していれば、お金に左右されることなく、幸せに暮らすことはできる手段はある。

でも、日本の教育は「どう稼ぐのか」「高収入=幸せ」、その方法を教えることに終始してはいないだろうか。だから、その手段に気が付かない。

いや、現場はそう思ってはおらずに何かそこに違和感を感じて、さまざまな実践や試みをあちこちで行なっている先生方がいるのも事実です。私もその一人でありたい。

そろそろ、システム的に「稼ぐ方法を教える教育」を終える時なのではないでしょうか。

山口周さんの言葉ですが、インストゥルメンタル(媒介・手段的)=未来のために今を手段化する(未来はきっともっと良くなるだろうから今は大変でも我慢する)という価値観から、コンサマトリー(直接・享受的)=今そのものの燃焼を求める価値観にどうやら世界がシフトし始めたのだそうです。それが結果的に生き方の多様性を増やすことにつながってくるのではないかと。

生活も、経済も、教育も。
「お金よりも大切なものが、あるよね」

「自分が大切だと思うもの」
そこにお金と労力を使う時代が始まったのだと思いました。「生きる」っていうことを再定義してみる必要があるのかもしれません。

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