見出し画像

『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』を読んで

感想文は本を読んで書くものだけれども、まさにこの感想文は『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』を「読んで」書かれたものだ。


本書は「書くこと」が始められない、続かない、終わらない、という人たちに向けて、四人の異なる経歴を持つ「執筆者」が、お互いの試行錯誤や実践を話し合う、という内容になっている。

全体は第一章が座談会、そして第二章はその座談会を経た各執筆者の「実践」、そしてさらにそれを踏まえた上での座談会という三章で構成されており、書くための方法論のみならず、執筆者の悩みが共有されていたり、座談会を踏まえた「実践」が行われているところが面白い。

せっかく本を読んだのだから自分も「実践」してみよう。ということで思い浮かんだことをつらつらと書いてみることにした。

可能性を「有限化」する

「執筆」という作業に限らず、始められない、完成させられないということはよくある。

自分は「曲を作る」のが仕事だけれども、人に頼まれないで曲を作った経験があまり多くない。
技術的に作れないわけでなく、作りたくないと思ってるわけでもないのだが、どうにも筆が進まないのだ。
特に作り始めるのが苦手で、自分の曲を作ってみようと思うところまでは良いのだが、ソファから作業机に移動すると、さっきまでなんでも作れると思っていたのが嘘のように思考が停止してしまう。作曲のために立ち上げたソフトウェアのまっさらな画面が、巨大な壁になって自分の目の前に立ちはだかってくるのだ。

いきなりエディタに向き合うと、「さあ、この真っ白な紙に、君の作家性をぶつけてごらん」みたいなことを言われている気がして、何も書けなくなってしまうんですよね。

でもどうやらこの壁の正体は、なんでも作れると思っていた可能性そのもののことらしい。「なんでもできる」が「なにもできない」を生み出している。言うなれば、不意にやってきた休みの日を、あれも出来る、これも出来ると考えているうちにふいにしてしまうような感じ。

無限に広がっていく可能性を現実に実行する為に篩にかけていく方法を、本書では「有限化」という言葉で表現している。

デザインに拘ってしまったり、もっといい表現があるのでは?と逡巡してしまったりと、至る所に「無限の可能性」への景色は広がっていて、ついついそっちのほうに気を取られてしまうものだ。我々が「完成」へとたどり着くためには、そういった可能性を「断念」していく必要がある。「完成」は「可能性の極致」ではなく、様々な「断念」を経たあとの最後の残滓なのである。

書かないで書く

さて、本書で示されている「有限化」の方法のひとつとして、「書かないで書く」方法が挙げられている。

文章を書くときに構えてしまうことを突破するために、ぼくは以前「書かないで書く」というキーフレーズを考えたんですが、それは要するに「規範的な仕方で書かない」という意味なんですよね。脱規範化するためには、「そんなの書いてるうちに入らない」くらいの雑な書き方であっても書いてしまえばいい。

これ、自分は結構刺さったフレーズなのだが、あまりピンとこない人もいるんじゃなかろうか。つまり、自分が無意識のうちに「書かないで書けている」タイプの人たちのことだ。

例えば「練習の虫」と呼ばれるような、練習することが好きで好きで、「練習を練習とも思わない」人は確かにいるのだ。一秒先の自分の行動の可能性を、自身の「」でもって「有限化」できる人たち…。そういう人たちがとてつもない偉業を成し遂げていくのを目の当たりにするたび、僕はそういったことができることを心底うらやましく思ってしまう。


でも実際自分にはできないから仕方がない。だから私が「書かないで書く」ためにできることは、自分の無意識に行っている「有限化」に、いかに「書くこと」を滑り込ませることができるか、なのである。

いってしまえば、「有限化」自体はいつだって行われているのだ。左に進むことと右に進むことを同時に行えないように(もしかしたら100年後にはできるようになっているかもしれないが)、いつでも我々は一つの行為を選び取って生きている。自分が今まで行ってきた行為は「有限化」によってさまざまな可能性を「断念」した結果の積み重ねなのだ。要は、それが「書くこと」に焦点が当たっているか否かの違いにすぎない。

自分が「書くこと」という方角に転がっていけないなら、自分が転がってしまう方向に「書くこと」を置いてしまおう。

可能性に溺れる

でもそもそも、この「無限の可能性」に浸かっているのが楽しい、と言ったらどれくらいの人が共感してくれるだろうか。
文具屋の画材コーナーって楽しくないか?画材に囲まれているだけでなにか生み出せそうな気がしてくる。音響機材や音源のリストを見漁っていくのも夢中になってしまう。本を大量に買うのなんて最高で、大量の本が本棚に飾ってあるだけでニヤニヤしてしまう。多種多様なスパイスがキッチンに飾られているのも楽しい。

それでもこうした可能性をぎゅっと圧縮して、一つに絞っていくことにどんな意味があるだろうか?やはり、おいしいカレーを作るためだろうか。

ただ一つ言えるのは、カレーを作らなければ、みんなでそのカレーを食べ合って、その味を語ることはできない、ということだ。

まずいカレーを作ることを恐れる人に、勇気を。

おわりに

と、ここまで何とか書き終えることができた。何度「断念」できずに書き直したことか…。結果的に全く理解の伴わない実践をしてしまった訳だが、とはいえこうした文章を書いてみようと思うきっかけになった本書に出会えたことは、とてもよかったと思う。

よかったついでに、本書のカバーイラストを手掛けているあらゐけいいちさんの『絵描きうた』を紹介しておこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?