睡眠局【ピリカ☆グランプリ】
その人とは仕事の顧客を通じて知り合った。奥様が落語家をやっていると聞き、とても好奇心が湧いた。落語家である奥様にも興味を持ったが、その人自身にも独特の雰囲気があって、一度お会いするとまるで優れたJAZZレコードを聴いている時のような豊潤な時間が流れるのだった。
「どのような人生を送ってきたらそのような雰囲気を纏う事が出来るのだろうか」と不躾にも思い切って聞いてみた。
「私の人生なんて本当に普通と言うか平均的な人生です。平均的な収入世帯の家庭に育ち、公立学校を出て、平均的な待遇の会社に就職しました。もう辞めましたが煙草も平均的な年齢から吸っていましたし、お酒もたぶん平均的な量しか飲めません。ただ、結婚した相手が落語家さんというのは少数派かもしれませんね」
そう言って静かに微笑んだ。
新橋の安酒場の蛍光灯に小さな虫がぶつかる音がした。
「でも実はたった一度だけ、これは平均的ではないなと思える、リアルな手触りの夢を見たことがあるんです。話してもいいでしょうか」
「もちろんです」そう答えた。
それは私が大学2年の夏、連日の猛暑に参ってしまって講義をさぼった日の事です。ベランダから風を入れて寝ていました。私の大学は学園都市になっていて近くに山があったせいか、蝉の鳴き声がとても煩かったのですが、風が格別に気持ち良いんです。どこからか私の部屋に一匹の猫が侵入していました。「どこから入って来たんだろう」と驚いたのですが、体は全く言う事を聞いてくれません。「これが金縛りか」と思ってだんだん怖くなってきました。さっきの猫が近づいてきます。「猫の幽霊なのかもしれない」と思っていると猫はすぐ傍まで来て体を寄せ、丸くなって寝てしまいました。「なんだ、ちゃんと猫の温もりだ」と思ったところでいったん私の意識は飛びました。
次に意識が戻った時には知らない町にいて、睡眠局と書かれた建物の前に立っていました。ここからがまた可笑しいのですが、いや別に笑って頂いてもいいのですが、私は猫なんです。自分が猫だという自覚があるんです。そして睡眠局に人間病を治すために「安眠」を買いに来てるんです。「安眠」を手に入れた私は家に帰ってぐっすり眠りました。
目覚めた私はちゃんと人間に戻っていて自分の部屋にいました。猫もいませんでした。
「これで私の話はおしまいです。たったこれだけの事なんですけど、猫の温もりと、睡眠局があった町の感触が今でも忘れられません」
そしてまた静かに微笑みながらこう続けた。
「そのせいなのか、妻の演る猫が出てくる落語を聴くのがたまらなく好きなんですよね」
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これはピリカ☆グランプリ参加作品です。
shinoさんのご縁で楽しい企画に参加出来ました。
運営の皆様、読んで頂けた皆様に感謝です!
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