仏教にまつわる「へぇ~」な話:その2
何故、多数の宗派が存在するの?
仏教に興味を持った時、よく分からないと感じたことの一つに「宗派」があります。
・天台宗
・真言宗
・浄土宗
・浄土真宗
・臨済宗
・曹洞宗
・日蓮宗
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キリスト教にも、いくつか宗派が存在するようですが(キリストでは諸教派と呼ぶそうです)、日本人が馴染みのあるのは、カトリックやプロテスタントぐらいではないでしょうか。
一方、仏教は明治政府が公認した13宗56派があります。
上に挙げた以外も合わせて、全部で13の宗とそれに紐づく56派が現代に存在します。
「なぜ、こんなに多いのか?」
これが、仏教を興味を持った時に感じた素朴な疑問でした。
それは、仏教について、以下のように私は考えていたからです。
「仏教とは、ガウタマ・シッダールタ(釈迦)の教えである。宗派に分かれるということは、教えが分かれることであり、色々な教えがあるということは、釈迦の教えが変わっていることになる。それはおかしいんじゃないか」
このように考え、たくさんの宗派が存在することに違和感を感じていました。
ところが、釈迦は「教えが変わることを良し」とする教えを説いていたのです。
それが「自灯明・法灯明」
自灯明とは、自らを灯明として、自らをたよりとすること。
法灯明とは、法(教えを示した真実のことば)をたよりにすること。
つまり、「法から学んだ自分の考えを大切にしなさい」ということを釈迦は教えていたのです。
現代にたくさんの宗派が存在するのは、この釈迦の教えを各々の考えを広めた結果だと言えます。
さて、ご自身の拠り所となる考えはありますか?
「こうしなきゃいけない」
「こうあらねばならない」
と考えて、苦しんでいる方は多いように思えます。
しかし、このような考え方は、他人から言われたことに対して"反応”しているからではないでしょうか?
自分を拠り所とする考えとは、自らの
「こうしたい」
「こうありたい」
という願望だと思います。
無論、「法灯明」という前提はあります。
でも、是非、「自灯明」という考えを取入れてみて頂ければと思います。
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