最先端の心理学に納得 わたしが貧困になったわけ
いつも貧困のことを記事に
書いているのですが
なぜ私が貧困になったかの理由
直接の原因は父親です。
私が11歳の頃
父親の借金が発覚しました。
子供だったので、親や親戚が
私に詳しい理由は説明しませんでしたが。
調べると出るわ出るわ借入先
11箇所のサラ金から
合計2千万円ほど借りていたようです。
使用用途はわかりません。
時々パチンコに行くほどで、それ以外のギャンブルはしたところを見たことがなく。
株や投資を知らないただの会社員。ビジネスで失敗する選択肢もありません。
その日から、毎日の取り立て、督促の手紙や電話。
生活水準もうんと落ちてしまいました。
父の両親が土地を売ってなんとかその借金を返しました。
その間に家族の中は悪くなり
子供はやはり母親の味方につきます、兄弟と母と一致団結し父親をいじめていました。
その後 父と母は離婚し、
私たち兄弟は流れで母と暮らすことを選びました。
いま思うと 父だけが悪に見えたからです。
母は離婚した理由を
借金が発覚してすぐ、夫婦二人で父親の両親に支払いをお願いに訪れた。
自分の借金じゃないにも関わらず、土下座をしてお願いをした。
にも関わらず支払いをしてくれず、
父が個別でお願いした時に返すことを決めたことが悔しかったと12、3歳の私によく言っていたことを覚えています。
このころの私は貧乏になったことが恥ずかしく、なんとか友達にバレないように人気者になろうとしていました。
少しだけ不良と呼ばれるような生活をしていた時もあります。
母だけの収入で暮らす毎日も本当に悲惨で、電気が止まる、電話がとまる。
16歳になった私は学校には内緒で週7でバイトに入り、お給料で電気の支払いなどをしていました。
ある日 母親と大喧嘩になり、家出をしました。
理由はいま聞くとかわいいもんです。
自分の給料で買った兄弟のための食料を母親が黙って食べていました。
ここで ごめんなさい を言えないことが母親の悪いところです。
私は幼少の頃から母親の教育方法について不満だったので、この人から人間力を学ぶことをこの時にやめました。
数年ぶりに父親にあいました。
その頃は私も男になっていて、父親と話が出来るようになっていました。
昔から父親はお金の使い方は知らないのですが、母親よりも子供の幸せを思ってくれているような言葉を知っていました。
私は18歳くらいでしょうか。
父親と2人暮らしをし始めて1年が経ち、ある日の夕方。
インターホンがなり、私が出ると。
「お家のことで、、」とスーツを着た人が。
マンションのセールスかと、
「結構です。」と断ろうとすると。
「あ!こちらはもう裁判所から差し押さえが出てますので、早急に出て行ってもらわないと、、」
覚えていません。
父親に対応を代わり、部屋に戻りつくづく不幸な人生を恨みました。
その頃私は大学生になろうとしていた頃で、行きたい学校を受かっていたのですが、
この 状況なら学費がどうせ払えないだろうと、
人に頼らなくてもいける
特待生で学費が免除の学校に
行くことにしました。
生活の拠点は母親の家に戻し、
父は田舎の両親もとに介護をするという表向きの名目で家が取り上げられ、戻ることにしました。
大学入学後は私だけの人生です。
自分の経験を子供にさせないために
まずは自分がいい親になる事を決め
いろんな経験をしました。
途中2年間は兄弟が大学に行きたいというので、2年間休学し海外に行ったりやビジネスを学びました。
その中で学んだのが
幸せの公式や感謝です。
大学最後の年。
先に社会人になった兄弟と父が学費の支払いを手伝ってくれることになりました。
休学したことで、奨学金がもらえなくなったからです。
私と兄弟で60%を父に渡し、
父親が残りの40%を銀行に振り込む約束でした。
しかし
期限を過ぎて学校から未納の連絡が。
父親に問いただすと、
仕事が忙しく支払えなかったと
ただ、現金は手元にあるからと。
今考えると私が頭が悪いのですが、
その父の言葉を信じました。
いや、信じたかったのです。
父は滞納に慣れていて、
期限に再期限があることを知っています。
1ヶ月以内に支払わないと、退学。
これが最終期限であると通知が。
毎日、いつ払うのかという督促の電話を父にしました。
仕事が忙しい、明日、明日と。
最終期限があと4日になった夜。
深夜のアルバイトを終え、携帯を見ると
父親からの不在着信。
掛け直すと、
60近い父が23歳の息子に
「すいません。払えません。」と
泣きながら言いました。
もうその時の私には
あたり前という感覚でなく。
言ってくれたことが有り難い。
捨てずに育ててくれたことが有難い。
命を与えてくれたことが有難い。
本気でそう思っていましたので
「ありがとう!おかげで他の方法探せるよ!」
そう伝え、バイトの店長にお願いをし
その日のうちに満額をそろえました。
次の日 母親に店長に貸してもらったことを伝えると、母親が銀行に行きました。
なぜか奇跡的に、
次の日には融資がおり店長には次の日に返すことができ迷惑をかけませんでした。
今回はダラダラと私の経験を書きましたが、
ここから学んだことは
・子育てにお金は必要
・お金以外にも人間力が必要
・急に運が良くなった
→運をよくする方法がある
・助けてくれる人ができた
→先に幸せにしたから(恩送り)
・父親が借金地獄の不幸せになったのは勇気がないから
2週連続で表彰されました。みなさんのおかけです。ありがとうございます。
貧困や親の育てられ方で苦労した方!
たくさんおられると思います。
助けたいと思う反面、
自分の子供に貧困をさせたくないと
ボランティアはできないという方
でも、なんとか 親に子育ての責任を学んで欲しいと心から思う方
是非コメントしてください。
少しずつ私の重い体が動かされます。
将来 一緒に何かすることになるかもしれませんし、
わたしがあなたの考えに納得しついて行かせてもらうかもしれません!
やはり 幸せになるには勇気ですね。