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どう変わる正社員
本日はこちらの企画に乗りたいと思います。
どう変わる正社員。
このタイトルを見た時に真っ先にもやもやとしたのは、正社員自身や経営者のあり方ではなく、労働組合なる組織についてのあり方でした。
正社員を束ねているのは経営者、確かにそうも言えなくもないですが、本質的には労働組合だ、というのが回答としてはふさわしい部分もあるでしょう。
厳密には正社員ではなく労働者に関する法律となりますが、労働者に関する法律は3つあって、その一つに労働組合法という法律があるので、最初にその内容をざっくり見たいと思います。
僕がそもそも法律の専門家でないので、ざっくりなんです笑
労働組合法
目的等
この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする(第1条)。
労働者が労働組合を組織する権利(団結権)は日本国憲法第28条によって保障され、その手続きや組合の具体的な権能等を定めるのが本法である。
(Wikipediaさんより引用。引用元はこちら)
いやぁ、きついなぁ・・・。
ざっくり言いますと、こんなかんじでしょうか?
労働組合は労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することを目的にしており、具体的には労働協約という形でその目的を実現する。
さらに噛み砕きますと、こんな感じだと思います。社長は権力があるので、ペーペーがひとりずつでは押されてしまう。なので、ペーペー同士で集まって労働組合をなる組織を作り、社長とフェアに労働条件を話し合えるようにして、話し合った内容は労働協約に落とし込む・・・みたいな。
続けます。
労働者が労働組合を組織する権利(団結権)は日本国憲法第28条によって保障されている。
そもそも労働組合なんて勝手につくっていいのか?なんか根拠があるのか?と言われれば、作っていいし、根拠もあるわけです。日本国憲法28条は労働三権というものを認めており、その一つが団結権です。
要するに、憲法によって、労働組合は作っていいし、労働組合が社長と交渉したり、折合いがつかない時はストライキとかで反抗してもいいと認められています。
正社員と労働組合
非常に雑に言えば、労働者というと、なんだか毎日炭鉱で石炭を掘り出しているようなブルーカラーなイメージですが(そしてそれは今でも間違っていない部分もあるとは思いますが)、私たちからすれば、労働者はほとんどニアリーイコール正社員なんじゃないかと思います。
つまり、これまた大雑把な話ですが、憲法によって正社員という立場は保障されてきたと言えなくもないのだと思います。
派遣切りという社会問題が発生する前夜において、派遣社員やフリーターという言葉は社会の端くれ者でありながらも、決まった道は行かず自由に生きているという意味合いも有していました。
お上(憲法)・労働組合から得られる保障はないが、その対価として自由さを得ていた、という構造であり、「正社員」と「派遣社員(契約社員・フリーター・今ならフリーランス?)」という「権威」と「奔放さ」の対比があった訳です。
その後、景気後退に伴い、労働力の調整弁として使われるようになった派遣社員が、あまりにも不安定な立場に追い込まれてしまったことで、その対比はかなり歪んだものになりました。
守るべきは正社員であり、派遣という存在をどう誤魔化していくかは経営者の課題であると同時に、労働組合の課題となったとも言えるでしょう(ここで言う労働組合は派遣先の会社の労働組合であり、もちろん派遣社員も派遣会社の労働組合やいわゆる一般のユニオンは存在しているでしょうが、派遣先の労働組合員ではない)。
要するにこの憲法28条が目指している対立構造・緊張関係は歪められたのです。労働組合において、正社員とそれ以外という対立構造は本来正しくありません。
だからといって、労働者と使用者(経営者)の対立というものが、今でもなりたっているかといえば、明らかに怪しくなってきました。
今でもある年代以上は、その対立構造の中で生きているように思いますが、一方で若い世代になる程、より顕著に労働組合の存在はよくわからない、というのが僕が感じている肌感覚です。
というよりも、僕自身が労働組合についてその存在と機能に疑問を持っています。
予定調和すぎやしないか?
例えば、会社にボーナスの要求金額をいくらで交渉するか?についての議案を労働組合はまとめています。これを職場で集会を開き、その議案の賛否を正社員たちに問うわけですが、事実上、賛成100%でしょう。本気で議論が交わされているとは言えない。
こんなステップを踏む労働組合は制度疲弊が甚だしいと言わざるを得ないわけです。経営者の多くはうまくいくかいかないかは別にして現状のままでは問題で、会社を変えていかないといけないと考えているでしょう。しかし、経営者を受け入れる労働組合が多くの場合は古いまま、旧態依然のままのように思います。
正社員が団結権を持ち続けることは意味があるのでしょうか?多様な働き方という言葉は、この団結権のあり方に疑問を投げかけます。
例えばフリーランスで働く、というのは個人事業主になるので、立場としては使用者側になります。しかし立場の強さや仕事の内容は本当に使用者でしょうか?正社員よりも立場が不安定な場合があります。これについて、「あんた経営者なんだから自己責任」というのは、すじ論かもしれませんが、本来憲法が保障したい社会権からは遠ざかるように思います。
こうして考えてみると、「正社員の労働組合」は限界を迎えつつあると感じます。つまりは、団結権の再定義、再構築こそが、今の歪みの是正のヒントと思います。
例えば、フリーランスでウェブ制作をしている・・という人たちの団結権。
派遣で働いているけれど、派遣先の会社の経営者に物申せる・・という団結権。
おそらく弱い側が組織化することはやりようがいくらでもあるように思っています。つまり団結する側が新しい形の団結を手に入れるのはそんなに難しくないように思います。共有・共感できる人間がインターネットやSNSで繋がれる時代です。なにかしらやりようがあるでしょう。
なので、私が思い描く将来の正社員は、正社員そのものの崩壊です。それは厳密に言えば、労働組合が崩壊する日であり、その救済のために、新しい形の団結を作る仕組みが求められ、そして作られていくように思います。
なお、少し踏み込んでいえば、むしろ、使用者つまり経営者という権力を持つ側の定義が難しいと言えます。昔は社長と正社員というシンプルな構造でした。弱いのは正社員、強いのは社長。そこに派遣社員という概念が入ってきた。そうなると立場の強い順番は、1位社長、2位正社員、3位派遣社員となった。ここにフリーランスや働き方の多様性というものを加味しなくてはならなくなった。そうなったら、個人事業主としての社長であっても1位なのか、はたまた実は最下位なのか?順位が判然としなくなってきました。
なのでこの権力強弱の構造は維持するのか?ベーシックインカムのように最低限の保障を行ってそこから先の権力強弱については、もう国でいちいち管理しない(しきれない?)とするのかは、別に議論が必要なのかと思います。
ということで、また。
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