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また「合う」日まで

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今すぐ消えて欲しいムカつく30代もいれば、いつまでも一緒に仕事をしたい60代の方もいる。はっきり言って一緒に働きたいかどうかに年齢は全く関係ない。

別に60代で担当仕事をしたっていいだろうし、教育係をやってもらうのも、経営を担ってもらうの問題ない。そこがふさわしい場所だと、周りも本人も納得しているなら、それでよい。


これが結論だと思います。


問題は、「一緒に働きたい人とだけ働く」ことを実現する仕組みが整っていない点です。

まず「何歳まで雇うべきか?」という議論は不毛だと思います。有能で人格も優れた人には働けるまで働いて欲しいし、大した結果も出さず感じの悪い人にはさっさと出て行って欲しい、わけですから、年齢に関係なくクビにできたり、いくつになっても契約が継続できる方がよいです。

こういう言い方をすると、人をやみくもに切り捨てていいのか?とか、高齢者を一生働かせるつもりか?という風に聞こえますが、そうではなく、「その会社とは合わなかった」という発想で、お互い様で次に進めばいいのだと思います。

問題は合う/合わないの基準です。

基準が明確に指標化できて、且つ社会と会社と本人でその数値がどこに到達したら「合わない」とするかが揃っていれば、苦労はありません。その基準に到達したら発展的解消ということで契約を打ち切れば良いし、社会保障も機能し、安心して、無職状態や転職活動ができるでしょう。

理想論なので難しいと思いますが、みんなが納得する基準を探していく努力は必要に思います。

もう少し言えば、合う/合わないの判断においては「一定期間」にて「育ててみる(在籍してみる)」ことが必要なわけですから、以下の3つの課題を考えていく必要があると思っています。

ひとつは「教育」です。

新人が仕事が多少できなくてもそれは教育が不十分だからという理解は多くの人から得られます。しかし30歳を超えてくれば、いい歳してそんなこともわからないのか?という目で周りは見ます。ここで合う/合わないが年齢を基準に判断されるわけですが、この発想を変える必要があると思っています。

30歳だろうと何歳だろうと、人は成長し続けるという前提で教育を行うことが肝要だと思います。そして、この教育を誰が行うのか?を考えるのも重要です。もちろん現在進行形で雇っている会社もその一役は担うべきですし、会社を離れた人に対しては、行政などによって社会が支える仕組みが必要でしょう。

もうひとつは「時間」です。

教育は1日では終わりません。人は成長し続けるという前提に立てば、教育が完了する日が来ることはない、とも言えます。そうすると、どうしても教育してから何年で見切るか?ということになってきます。

あるいは成長率が鈍化した場合、その人はどう評価されるべきか?という問題もあります。例えば、スキルが80→100となった人と、100→105となった人、将来性だけ見れば前者で、絶対値でみれば後者です。

成長していると言う点では、どちらも残って働いてもらったらいいのですが、いずれかをリストラしないといけない場合、どちらが良いでしょうか?ここにコスト(給料)を加味した場合、コスパは前者の方が良い場合だってあり得ます。

いつまでにどこを目指すのか?ということを明確に会社と本人で決める必要があります。どこを目指すか?は会社の側も責任を持って答える必要があると思います。

具体的には「その人に何を教育しどこまでもっていくのか」です。ここが不明確だとお互いに不幸になる気がします。

最後の課題は「合わなかった時」です。

「合わなかった時」には、会社を辞めることになります。この時辞めた本人を誰が支えるのでしょうか?それは社会が支える必要があります。支えるとはお金の支援もさることながら、教育機会も提供し続けると言うことです。

それから「合わない」の定義を、今この瞬間は「合わない」と社会全体が解釈する土壌が必要だと思います。年齢が高まれば病気もします。そうなれば闘病生活です。闘病期には合わない会社や仕事は実際問題あるでしょう。そうなれば「合わない」です。

ただ、これは未来永劫「合わない」のではなく、闘病が落ち着けば復帰できるかもしれません。つまり「また合う」もありえるということです。

例えば本人の意欲もそうです。今はもう疲れたので「合わない」もあるし、またやりたくなったから「合う」もあると思います。いわゆる年金で暮らす時期もあるかもしれないし、また働きだすかもしれない。

年齢が若くても同じです。ベーシックインカムのように、働きたくない時期は仕事をしなくても暮らしていけるようになっていれば、ただ単に社会も会社も本人も、仕事そのものが「合わない」時期と捉えることがができ、穀潰し的な発想にはならないと思います。そして、また「合う」日がくるかもしれません。

また「合う」日について、教育と意欲の両輪で考えていく必要があると思います。

この2つがきちんと回り出せば、多くの人が、人生のその瞬間・瞬間で最適な場所や状況に収まっていけるのだろうと思います。

ということでまた。

#日経COMEMO #一緒に働きたい60代社員とは

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