僕は文章がかけない1
柄谷行人の「夢の世界」という文章を読んでいてこんな一文を見つけた。
さらに上記に関してW・H・オーデンを引用する。
僕は本を読んだり、映画を観たりなどしてそれに強い感染を受けると、何かしらアウトプットしたくなる。そう思い文章を書こうと思い立つが、何かしら不自由さを感じてしまい、文章が途絶してしまった経験が何度もある。なぜ僕は文章がかけないのか?ずっと考えていたが、上記の文章を読んでなにか腑に落ちた部分があった。因果律に落とし込まなくては文章化できないからだ。とくに因果律に関係の深い文法は接続詞だと思う。僕は特に接続詞の使い方に悩んでしまう。「この事とこの事がうまくつながらない」そう思って文章がかけなかったことが何度もある。
文章を書くという行為は頭の中で考えていることを一度因果律に合うよう内容を変換する行為である。僕はそれが苦手である。でも書きたいという欲もある。一回バージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』みたいに意識の流れっぽい文章で書いたほうが書きやすいかも知れない。