美しいものに救われた
不妊治療の薬を忘れたりはしないのに、膀胱炎の薬はすぐに忘れちゃう。これが関心の差というものか。
さてさて、今日は午前中に仕事があって、毎週楽しみにしている OVER THE SUN を聴きながら仕事場に向かった。
OVER THE SUN、もう5年目になるらしい。ほぼほぼ初回から聴いているので、「もう4年経つのかぁ」と勝手にしみじみしてしまった。今回のエピソードでは、その5年を記念して、「5年前は何やってた?」というテーマのメールを募集していた。
5年前。2019年。何してた?・・・私はあんまり思い出せなかったから、グーグルフォトに記録してある写真を見てみると、まだアメリカと日本を行き来していた頃だった。
5年前はまだコロナ前で、日本オフィスができる前。アメリカ本社に籍を置いて、3ヶ月〜半年くらいの頻度で、アメリカと日本を行き来していた。チームは、アメリカにいる上司とチームメンバーだけ。日本には誰もおらず、パートナー会社のデスクを1つ借りて、日本での立ち上げを末端のポジションでやっていた。
海外にいても日本に関わる仕事したいと思っていたから、願ってもいない仕事だったし、今もそう思っている。この会社で、今の仕事ができて幸せだ。
でも、5年前は、結構限界だった。
東京に来ると、仕事の成功の喜びも、日々の悩みも、悔しさも、リアルタイムで共有できる人がいない。新卒で入社した私はまだ4年目で、日本の仕事で関わる人は目上の偉い人。誰かが手取り足取り教えてくれるわけでもなく、悩みの相談ができる時間はアメリカが始業する日本の夜中の時間。
朝は日本の始業時間で始まり、夜はアメリカのやりとりが落ち着く夜中の1〜2時。4年目となると少しずつ自分の責任も増え、まして現場に出ているのが自分しかいないという状況で、「現場を知っているあなた(私)が責任を持って判断しなさい」と言われることが多くなっていた。
それでも仕事は楽しかった。長時間労働を強いられてもいないし、逆に長く働いていることは心配されているくらいだった。さすがアメリカの会社で、「長く働けば誰でも結果は出せる。時間内で出す結果が本当の結果だ」と言われていた。それが逆にプレッシャーで働かないと心配だったのもあるけど、自分で選んだ仕事、がむしゃらだった。就活で苦労した分、自分の努力不足で失うなんてあり得ないと思っていた。
でも、2019年の12月ごろに限界が来た。仕事をしていると涙が出たり、朝晩は毎日「このままじゃ、もう無理だ」と思った。
そんな自分をどうにかリフレッシュさせなきゃと思って出かけたのが、年末の一人旅。一人で直島に行って、地中美術館のモネに救われた。
細かいことは覚えていないけど、この空間に入った瞬間の、空気が変わった感覚は忘れられない。目の前の苦しさだけしか見えていなかったけど、自分が生きている世界にはこんなに美しく豊かなものがあるのか、とハッとした。まだまだ頑張れる、そう思った。
そこから、とんでもなく苦しくなったら美術館に行くようになった。東京にいるといろんな展覧会が来てくれるのがいい。頻度はそれほど多くないけど、好きなアーティストや、このスタイルは自分に合うだろうなと思う展覧会を見つけていくのが楽しい。今は新居に引っ越して、どんなアートを追加しようかとワクワクする。気になるアーティストが展示してある美術館に行くことを目的に、地方へ旅行してもいいなとも思う。
小さい頃は、母に連れて行かれる美術館が退屈でしょうがなかったけど、今なら分かるよ。アートって素晴らしい。
そして、いま少し(いや、かなり)大変な思いをしているであろう親友のことを思い浮かべた。大変な中だろうけど、美しいものを見ているといいな。
数年前また少し辛くなったとき、誰にも話せなかった「しんどい」を聞いてくれた人。地元から届いた贈り物に、モネと同じくらい救われた。
親友にも綺麗なものが力をくれますように。
今はすぐに会える距離にいないけど、いつか一緒に観にいこうね。
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