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どこをどう切り取るかで変わる世界

SNSがあることが日常となってだいぶ経ちました。日々流れてくる大量の写真の中には、『おや?』と目を惹くものもあります。そして、その場所に行ってみたい!というきっかけになるものもたくさんありますが、行ってみて『写真の方が良かったなぁ…』という場所も、実はたくさんあったりします。

写真は切り取り方で大きく印象が変わります。構図やフレーミングで、なにをどう魅せるかを変えられるとも言えますね。つまり、表現する人のフィルターによって、いかようにもメッセージを持たせられるという面白さがあります。

加えて今はAI生成技術で、そこにその時は存在していなかったものを、まるであったかのように違和感なく追加することもできます。

人も同じだと、つくづく思います。その人の受け取り方でアウトプットするものが変わります。また聞きしたものが事実だなんて保証はいっさいありません。事実ですら受け取り方で変わるので、いったい何が真実かなんて追求することさえ無意味かも知れません。

『〜すべき』『〜せねば』という価値観を持っている人も多いですし、実際わたしもよく観察したら心の中で呟いていることがよくあります。この価値観も自分で獲得したというよりは、幼い頃に保護者から受け継いでいることがほとんどです。まだ自分のフィルターがないときに人から受け継いでしまい、まるで自分のもののように大事にしてしまっていました。

世界の中で起きていることは、恐らくどんなことでも見方を変えることで意味合いが変わるものばかりだと思います。歴史ですらわたしが学生の頃に教えられたことが、今の教科書では違う記述になっていたりします。

そんな感じなので、真実は何かなんてことを追うよりも、自分にとってはどんな意味があるのかを考えることにしています。

この池も、切り取り方でまったく違う印象になりました。

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