愛に満ち溢れてる -軽井沢安東美術館
某日、都内ー軽井沢。日帰り。
都内より高い気温。でも風は爽やかで、気持ちいい。
軽井沢安東美術館へ。
開館を知ってから、ずっと訪れたいと思っていた。
「桃源郷に至るまでの歩み」
少し長くなるが、理事と館長の言葉を公式サイトから引用する。
安東泰志氏は金融の世界で非常に著名な方だった。いつしかお名前を聞かなくなり、美術館開館のニュースを知って、驚愕した。
そして藤田嗣治の、穏やかな絵だけのコレクションだと知った、そのことにも惹かれた。
じつはわたしのフジタ作品との出逢いは、かなり昔、東京近代美術館蔵の、フジタの巨大な戦争画数点だ。観たくないのに目が離せなくなる悲惨さに満ちていて、それを観ても(現代人である、わたしの感覚からすれば)戦意高揚には程遠いと思われるようなリアルな描き方に、作家の強い意思を感じた。いろいろな意味で衝撃的だった。
だから、フジタはリアイズムの画家だと思っていた。そして、乳白色の肌の静かな婦人像が同じ作家の作だと知って、さらなるショックを受けた(↓例えば、アーティゾン美術館蔵のフジタ作品)。
戦前、戦中、戦後のフジタの辿った人生と作風を知るにつけ、時を大きく超えた画家と、コレクターである安東夫妻の人生が重なって感じられてきた。そしてぜひ、その「御宅」にお邪魔してみたいと思うようになった。
想像していたよりもはるかに大規模だった
Instagram等で情報はチェックしていたが、実際に訪れた軽井沢安東美術館は、想像よりもはるかに規模が大きかった。
小さな私設美術館のつもりで、1時間あればじゅうぶん観て回れるだろうと思って、閉館1時間前に入ったが……とても時間が足りなかった。これは嬉しい誤算だ。
なお、館内撮影は可能だがルールがある。作品に近寄っての撮影は不可で、「展示風景」として、離れた場所から3枚以上の作品を入れて撮影したのであれば、個人利用に限って撮影OKとなる。
企画展「エコール・ド・パリの時代」
定期的に企画展が行われており、今回は「藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代 1918~1928年」として1910~20年代のフジタ作品が展示されていた。
「乳白色の肌」の作品たちも。
礼拝堂のような空間
照明を落とし、まるで礼拝堂のように長椅子が並べられた展示室。
母子像たち。
肌の美しさと繊細な線。1作品ごとに作品の前で足が止まってしまう。時間があったなら、長椅子に休みながら、すべての作品と対話したい。
「除悪魔 精進行」
この展示室には、テイストの異なる1作品があった。
本作を観ることで、この展示室が、作品を描いたときのフジタの心情をやさしく包み込んでいるようにも感じられてきた。
邸宅の大広間へ
廊下の先には、
こんな空間が広がっていた。まさに、安東夫妻のサロンの雰囲気だ。
ここには、眺めていて心安らげるものだけが展示されている。ゴールドで統一され、とても凝ったデザインの額によってドレスアップ(額装)された少女たちの姿にうっとりとし、ここでも時間を忘れてしまう。
少女像と猫と
何周もしてみたくなる。気持ちが、じんわりと癒されていく。
もしつらい気持ちのときに、ここにずっと居ていいですよと言われたなら、どんなに心が救われるだろう。
自然光、余韻
そして展示室を出ると、窓から射し込む陽光にはっとする。この先にもまだ、小作品を展示する展示室がある。
併設のカフェ。ここでの時間も含めて過ごしたなら、半日くらいの時間が飛んでしまいそうだ。
愛にあふれてる
閉館のアナウンスに促されて後ろ髪を引かれながら車に戻る。展示作品はもちろんなのだけど、強く印象に残ったのは、作品たちを含めた、愛にあふれた空間そのものだった。
「本当に、フジタ作品を愛していらっしゃるのですね」
招かれた客になったことを妄想して、そう伝えたい。長い時間を超えて作家とコレクターの想いが交錯し、大きな愛となって観る者の心をゆさぶる。そんな貴重な体験をいただいた気がした。
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