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異文化,批評の眼差し -生誕130年記念 北川民次展[メキシコから日本へ]

 8月某日、大阪から名古屋へ。

 翌日、名古屋市科学館と、


 名古屋市美術館へ。



「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」

 メキシコで画家・美術教育者として活動した北川⺠次(1894-1989)。

 ⽇本へ帰国後は、東京や愛知を拠点に洋画壇で活躍し、⼦どもの美術教育や壁画制作にも挑みました。約30 年ぶりの回顧展となる本展では、北川がメキシコ時代に交流した作家や美術運動との関わりも視野に⼊れながら、彼がメキシコで学び⽇本へ帰国後も貫いてきた芸術への信念を再考します。

 また本展では、北川の美術教育者としての側⾯にも注⽬します。北川はメキシコで野外美術学校の教師を務めた経験を活かして⽇本で児童美術学校を主宰し、美術批評家の久保貞次郎らの協⼒を得て絵本制作を⾏うなど、創造性をもった⼈間づくりを⽬指す美術教育に携わりました。現代でもなお⽰唆に富む⾰新的な⽅針やその⼿法を、⽣徒の作品や当時の資料とともに紹介します。

 絵画作品約70 点を含む約180 点の作品と資料によって、洋画家・壁画家・絵本制作者・美術教育者など多彩な側⾯をもつ北川⺠次の魅⼒に迫ります。

同上

 自画像にはじまる、膨大な点数の回顧展。


1921年メキシコ移住、大戦前に帰国

 北川⺠次は、歴史の大変動のさなかを生きた画家だ。

トランクのある風景 1923年
踊る人たち 1929年
水浴 1929年
メキシコ水浴の図 1930年

 メキシコ時代の作品は、どこかゴーギャンを思わせるような色彩に満ちていた。

トラルパム霊園のお祭り 1930年
アメリカ婦人とメキシコ女 1935年(58年補筆)


ランチェロの唄 1938年


日本への帰国、戦争の足音

 太平洋戦争開戦前に帰国して描かれたその作品には、当時の世の中の雰囲気が漂っている。

作文を書く少女 1939年
鉛の兵隊 1939年


 下の解説にもあるとおり、

出征兵士 1944年

 戦争に対する作家の姿勢が、絵の中に描かれた人物たちの表情、姿を通してストレートに描かれている。


戦後の激動を描く

メキシコ戦後の図 1938年

 作家は日本とメキシコの2つの戦後を描いている。

大地 1939年


鉱士の図 1943年
農漁の図 1943年

 そしてそこには、自分を含めたものに対する批評的な視点がある。

雑草の如く Ⅱ 1948年
雑草の如く Ⅲ 1949年



反戦運動と「いなご」

いなごの群れ 1959年


百鬼夜行 1973年


白と黒 1960年


二十年目の悲しみの夜 1965年

 終戦後、今度は反戦運動という別の闘いが起きる。この時期の作品には強くわかりやすいメッセージが表現されたものが多い。

 ただ、そうした作家の批評性や政治的な立ち位置を取り除いたとしても、作品のひとつひとつは、作品として美しく、見ごたえがあった。

 ここで紹介したのは一部でしかない。それが政治的な主張を孕んでいたとしても、その主張に負けることなく、絵として惹きこまれてしまう作品に満ちていた。それは付記しておきたいと思う。

子どもたちへの教育と絵本

 作家は戦後の美術教育に尽力し、絵本も数多く遺している。


社会に疑問を投げかける

 しかし作家が目指していた教育の方向は、当時の日本の教育とは真逆だった。最後に展示されていたこの作品は、なんと多くのことを物語っているのだろう。

夏の宿題 1970年





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