豊島美術館 -島と旅人を癒す,祈りの場
豊島美術館。豊島(てしま、香川県小豆郡土庄町)。
美術館休館日に行っていたけれど
豊島は何度か訪れていた。棚田の写真を撮りに。
でもいつも、「美術館休館日」をあえて選んでいた。それは、この美術館がとにかく人気で、いつもその周辺には、大勢の人がいたから。
美術館開館日には、路線バスも混雑で大変なことになる。乗れない旅人も、もちろん出る(代替としては、レンタサイクルがある)。
でも、あるとき、思った。「そういえば、瀬戸芸は楽しかったな」と。
オーバーツーリズムここにあり、という状態になるのは必至なのだけど、全員が、わざわざ船に乗ってアートを観に行こうとする旅人たちだ。混みあっていても、それは何となく、ファンの集いめいたところがあって。
まさにイベントに参加している、そんな愉しさがあった。
それに混みあうといっても、都内美術館のような混みようにはならない。今回の旅では、混雑を織り込み済みで出かけようと思った(実際、乗り物関係の混雑は、なかなかのものだった)。
入口は混雑していたが
結果として、高松に滞在し、その都度船で島に渡る(船が好きだから。)今回の旅で、豊島と豊島美術館には2度訪れた(「こういうことだったのか」と悟り、すっかり嵌ってしまった。それは後で詳しく)。
その週は9月だというのに34度を超える酷暑で、外にいるだけでパーカーが汗で湿った。写真を撮るにしても、本当にきちんと撮れているのか?と疑いたくなるような、強い強い陽射しの下だ。
美術館の入口。まず、オリエンテーションを受ける。
向かって右側が、美術館の本体「母型」だ。
「母型」めざして
中は撮影不可。いやいや、撮影可であってはならない、と思う。
鑑賞者は靴を脱ぎ、(中が、非常に音が響くので)足を忍ばせつつ、「母型」の中に入っていく。
「建物そのものが作品」という意味
一歩その空間に入ると、一瞬のうちにして悟る。自分も含めたこの空間のすべてのものたちが、「作品」なのだということに。
「母型」の中は、とてもとても広い。外の混雑なんて全く気にならないくらい、広い。
大きな開口部が2か所あり、風がそよぐ。コンクリートの表面はひんやりとして、しかし冷えてしまうほどではない。
思わず座り、そのうち寝転ぶ。旅人たちは、静かに座り、横になり、あるいは瞑想したり……思い思いに過ごす。
外の色々な音が、風にのって流れてくる。
うととしてしまう……。
水滴の誕生と、水の流れ
横になりながら、近くを見れば、小さな穴から、少しずつ水が湧きだしているのが見える。
その少量の水は、床をころころと転がり、やがて大きな水滴となって流れる。ぼーっとした視線で、その動きを追うのも楽しい。
時間は、あっというまに過ぎていく。
傷ついた島とその再生
豊島の歴史は……ひどい。
不法投棄問題と過疎の島という課題の解決が、アートであったともいえる。美しい棚田も、維持管理がプロジェクト化されている。
そんな場にたたずむ豊島美術館は、なんだか、祈りと癒しの場のようだ。
もちろん、訪れる旅人たちも、ここで癒される。
瞑想が終わったときのような
帰りのバスの時間だけを注意しつつ、夢と現実のはざまを過ごした。時計を見るたびに、びっくりするほど時間が過ぎていた。
きっと半分、眠っていたのだと思う。とても深く、心地よい眠りだった。
美術館の敷地内を、バス停に向かって歩く。まるで瞑想したあとのように、頭は澄み切っているように感じられる。
絶景の坂道を、振り返りつつのぼって。
あの赤いバスで、現実に戻る。
豊島美術館の癒しのパワーのようなものは、人が大勢いようとも、その力を削がれるものではないのだと感じる。
また、つぎの機会に。
深いところから満たされるような、幸せな時間を過ごしに。
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