おしいつくつくが鳴きやむ頃には
「人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行かん。みんみんは横風で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。」(夏目漱石「吾輩は猫である」より)
昼と夜の長さがほぼ同じになる秋分の日、その日を迎える頃になると夏にあれほど賑やかに鳴いていた蝉(セミ)の声の種類が少なくなっています。
ニイニイゼミ(にいにい蝉)の「チィー」と言う鳴き声から始まって行く夏。
やがて、灼熱の太陽の下でヒグラシ(日暮)の「カナカナ」、アブラゼミ(油蟬)の「ジリジリジリ」、ミンミンゼミ(ミンミン蟬)の「ミーン・ミンミンミンミー」など、朝からそれぞれが競い合うように鳴き始めた大合唱が夏の最盛期を迎えた事を知らせてくれました。
そして「ツクツクボーシ」とツクツクボウシ(つくつく法師)の鳴く声がしだいに耳に残ってくるようになると夏の終わりが近づいていると感じさせます。
その頃になると、ただただうるさく思っていた蝉たちの声は日暮れの早まりとともに哀愁を帯び心の底に沁み込むように感じられます。
蝉は日本の全域で32種類ほどが生息しており、温暖化の影響もあり近年では北海道でもさまざまな蝉の声を聞けるようになってきました。
基本的に熱帯・亜熱帯の森林地帯に多くが生息し、南極大陸を除いた世界に1500から3000種類もの蝉が存在していると言われています。
北アメリカでは13年もしくは17年周期で周期ゼミ(素数ゼミ)が数十億匹と大量発生し、オーストラリアやアフリカには200種類以上、ヨーロッパでは地中海沿岸のギリシャや南フランス・イタリアなどを中心に数種類、イギリスにはニューフォレストセミの1種類が存在していると言います。
今から2500年以上前に語られ現代の日本にも伝わるイソップ寓話の一つ「アリとキリギリス」、元々は「セミとアリ」だったのがヨーロッパの北部に伝わった際に人々になじみの薄い蝉ではなくてキリギリスやコオロギなどに置き換わって伝わっていきます。
1668年に詩人のラ・フォンテーヌ(1621-1695)がイソップ寓話を基にして出版した寓話集に「セミとアリ(La Cigale et la Fourmi)」が登場し、おおよその内容は次のようになります。
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セミは夏の間ずっと歌っていたので冬への備えがありませんでした。
セミは近所のアリの家に行き、食べ物がないので利子を付けるから貸して欲しいと懇願します。
アリは「暑い時に何をしていたの?」と尋ね、セミが「夜も昼も、誰が来ても歌っていました。」と答えると、「歌っていた?それは結構なこと。それじゃあ、今度は踊りなさい。」とアリはセミを突き放しました。
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日本へはイエズス会の宣教師によって1593年にイソップ寓話が伝わり口語訳された「天草版伊曾保物語」においては「セミとアリ(蝉と、蟻の事)」でしたが、明治以降に翻訳し出版されるとしだいにキリギリスに置き換わり現在の主流になっていきます。
天草版の「セミとアリ(蝉と、蟻の事)」では、アリは夏に歌って過ごしていたセミをさんざん嘲りますが少しだけ食べ物を分けてあげる描写が加わっています。
そして、この寓話の末尾には下心(心の奥底にある思い)として人は力が尽きる前に未来への務めをすることが肝要だと添えられています。
今年の暑い夏の間でも、アリがせっせとエサを巣穴に運ぶ姿をよく目にしました。
一方で、蝉たちは朝から日が暮れるまで食事もせずにずっと鳴いてばかりいました。
プラトン(BC427-347)の代表作の一つパイドロスでは蝉はもともと人間だったが、学芸の女神(ムーサ)がもたらした歌を人間は寝食を忘れ死んだことにも気づかず歌い続けたことで、それ以来その子孫が蝉になったとやや皮肉めいた一説を記しています。
でも実際のところは、蝉は口元の管を木に差して樹液を密かに吸っており、鳴いているオスは自分の場所を鳴かないメスたちに知らせるためにお腹の底から全力で歌っていたのである。
「地面の上に落ちているものには必ず蟻がついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕えるのである。」(夏目漱石「吾輩は猫である」より)
古代ギリシアの哲学者であるアリストテレス(BC384-322)は、蝉を食材として紹介し殻を破る前の蝉を「味わい極めて甘美なり」と語っており、その言葉の真偽を確かめるために昆虫学者のファーブル(1823-1915)は、実際に蝉の幼虫をフライパンで炒めて食べてみるとエビのような味がしたと述べています。
ときおり地面に落ちている蝉を死んでいると思って触れてみると、まだ食われてなるものかと突然ジジッと鳴いて飛び立ちびっくりすることがあります。
あれだけ合唱していた蝉たちは夏が終わるといったい何処に消えるのだろうか。
鳥や犬や猫や虫…人間、きっと誰かが残らず食べてしまっているのだろう。
蝉から言わせれば、私の亡骸を食べてこの冬を生き延びやがれと思っているのかも知れません。
蝉は低脂肪でビタミンやミネラルが豊富、そして幼虫は鶏卵の約1.9倍のタンパク質を持っています。
中国では健康志向の高まりもあり蝉の幼虫の串揚げが人気でレストランや夜市で多く食べられ、蝉の抜け殻は解熱などの漢方薬に使われています。
昆虫食が注目を浴びる昨今、沢山食べるのは結構なことですが、食べ過ぎると消化不良を起こして南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と大事に至ってしまうかも知れませんのでご注意である。
「油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。」(夏目漱石「こころ」より)
ようやく夏の暑さが和らいだ9月の夕暮れ刻に歩いていると、どこか遠くからツクツクボーシツクツクボーシ…と聞こえてきた。
古くは倭名抄(倭名類聚抄)に「久豆久豆保宇之」、蜻蛉日記には「くつくつぼうし」と記されており平安時代あたりでは「くつくつぼうし」と聞こえ、室町時代の頓要集には「つくつくほうし」や「つくつく」、明治時代の文豪である夏目漱石(1867-1916)は「おしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか」と悩んでいます。
また、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン, 1850-1904)は出雲では「ツク ツク ウイス」だと記し、筑紫の人が遠国で病死しその魂が秋蝉となり「ツクシコヒシ ツクシコヒシ」(筑紫慕はし 筑紫見たし)と叫び鳴いているとも伝えています。
イソップ寓話の一つ「ロバと蝉」では、蝉の美しい鳴き声を羨んだロバが何を食べたらそのような声になるのかと蝉に尋ねました。
蝉は露を食べるのだと答えると、ロバは露のほかは何も口にせずやがて餓死してしまいます。
辺りが薄暗くなり、ちょっと前にジーとひと鳴きした後はもう何も聞こえてこなくなりました。
もしかしたら、あれが彼の最期の歌声だったかもしれません。
暗い地中で数年、太陽の下で羽ばたく30日前後を次の世代に繋げるために歌い、その命を燃やす。
彼らは歌をどこで覚えているのだろうか、先に地上に上がった先輩の彼らが歌うのを地中で聴いて覚えているのだろうか。
地上に出て初めて太陽の光を浴びた時に何を感じたのか、その5つの目で何を見ているのか、メスを呼ぶ魅力的な歌い方や工夫は、油蝉とミンミンとツクツクたちの仲は良いのか、同じ顔をしているが見分けられるのか、いろいろ聞きたいことが沢山有るのだがもう今年の彼らが歌う夏は終わろうとしている。
たとえ僕が問いかけても彼らはいつも何も答えてくれやしない。
あれこれと博学なる人間に聞いてもいつもしっくりとこない。
結局のところ、蝉の事ならやはり蝉でなくては分らないのである。