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My Story 1."おりこう"な幼少期
こんにちは!
阿部拓哉です。
どういうわけか、初めて投稿した記事が私の想像を超える数(私にとっては)の反応があり、とても驚いています。
noteユーザーの皆さんって初心者に優しいのですね。
ありがたい限りです。
さて、初回記事で申し上げたように、しばらくは私自身の半生をつらつらと書いていこうと思います。
いまの私をつくりだした原体験は何だったか、振り返るために。
はじめは幼少期編(小学校入学前まで)です。
名前に込められた思い
とはいえ、小さい頃の記憶って皆さんありますでしょうか?
正直、私はほとんど覚えてないのですが…。
名前の「拓哉」に込められた意味を、母に聞いたことがあったような気がします。
開拓の「拓」ですから、自ら道を切り拓ける子になってほしい、だったかな。
ちなみに祖父は、私の名前を「大輔(だいすけ)」にしたかったそうです。
(自分では "大輔" っぽくは無いなぁ…)
あと、母は『(元SMAPの木村拓哉が)世の中に知れ渡る前に、あなたに「拓哉」ってつけたのよ』って。
…そこはどっちでもいいです。
小さな天才現る?
近所の幼稚園に年中クラス(4歳)から通い始めました。
断片的な記憶しかないので、印象に残っているのが下記です。
・担任のともみ先生のことが大好きだった
・でも、給食のプチトマト(当時は苦手)を食べないと外遊びに行かせてもらえなかった
・卒園制作を見る限り、他の友達よりも字をきれいに書くことができた
この頃から、ちょっと "おりこう" というか、知的にはレベル高めなところが出始めていたようです。
「せんせい」っていう、おもちゃのホワイトボードがあるじゃないですか。
お盆で祖父の家に親戚一同が集まったとき、私は「せんせい」に問題を書いて、親戚のおじさんおばさんにひたすらクイズを出して回っていたそうです。
いつ終わるかわからないクイズ集に『たっくんは天才だね~』と優しい言葉をかけ続けてくださった親戚の皆さまへ。
33歳になったたっくんから心より御礼を申し上げます。
軽傷で済んだ交通事故
あ、これは忘れられないですね。
5歳(たぶん)のとき、車に轢かれたことがあります。
友達の家の駐車場で、小石をボールに見立ててゴルフみたいな遊びをしていました。
私が転がした小石が、駐車場の敷地の外の道まで出てしまいました。
その道は両側がブロック塀で囲われた一方通行の細い道で、車から見れば私がいた駐車場は死角になっていたでしょう。
当然、5歳の子供からは塀の影から近づいてくる車など見えもしません。
転がった小石を拾おうと道に飛び出した私は、突然左ほほに大きな衝撃を受けました。
幸いにも、狭い道だったので車は大したスピードを出しておらず、唇を数針縫う程度の軽傷で済みました。
あのときの、救急車を呼んでくれた友達のお母さんと、血相を変えて駆けつけて来た私の母親の顔は忘れられません。
以来、大きな事故に遭ったことは無いです。
無意識のうちに気をつけてるのかな。
ちなみに、私の父親は長く運送業に携わっていますが、ドライバーとして25年以上にわたり無事故無違反です。
尊敬です。
おわりに
自分で言うのも変ですが、ちょっと頭の良い、でも性格的にはごく普通の(やや慎重な?) "おりこう" な男の子だったのかもしれません。
この頭の良さが、小学校入学以降にどう影響していくのでしょうか。
今回は以上です!