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4年に1回あるかないかのためのモッタイナイ精神…な話。
あー、のっけから耳がイタイ。
自分でタイトル書いておきながら、ひじょーに耳がイタイです。
元々のTwitter投稿は、高齢者の書き間違いについて。
高齢者、カタカナ苦手な人、多いね。
— 唖然呆然姉妹 (@ABsisters) January 29, 2020
B妹のお姑さんの作品(笑)その2。
書きまつがい。おかんあるある。 pic.twitter.com/dXxuYgUoMn
「アキポドルなんやねんっ?!空きボトルやろ!!」
というモヤモヤを残しつつも、高齢者にそこ突っ込んではいけないんだな という諦めと悟り。
そしてそれは円満家族生活を続けるためにはとーっても大事なスルー術。
これはもうLOVE & PEACE なのである。
過去の高齢者書き間違いの話はコチラ↓
お年寄り書きまつがいあるあるって次から次へとあるある…な話。
もともとこのTwitterアカウントを作ったのも、高齢者の書き間違いが身近にあまりにも沢山あふれているので、集めてつぶやこう!という私たち姉妹のおふざけからであったんだけども…
今回のnoteは、投稿するときにふと思った疑問に焦点をあててみたい。
続アキポドル。
— 唖然呆然姉妹 (@ABsisters) January 30, 2020
ってか、こんなに沢山のアキポドルを何に使うんだろう…
書きまつがい。姑あるある。おかんあるある。 pic.twitter.com/qmcQjCMVUT
そう、
この“アキポドル”を、なんでこんなに集めてしまうのか
ということ。
実家カーチャン収集あるある
そもそも、世の中のお母さんというのは、
「もったいない!まだ使える!」とか、
「もったいない!なんかの時に使える!」とか
とにかく言いがちで、集めがちな生き物であると考える。
お母さんに限らず、お父さんでもいるかもしれないし、若い子でもいるかもしれないけれど、なんかこうやって集めるのは“お母さん”のイメージなのだ。
“アキポドル”は妹の嫁ぎ先での話だけれど、私たち姉妹の実家へ行っても、もれなく同様の光景をみかける。
何年か前に、たまりにたまった紙袋を整理させてもらったことがある。
300枚くらいあったんじゃないかな。
こんなにいらないよねぇ?と聞いたら
「いらなくないの!色んな大きさのがないと困るの!
お義姉さん来た時にお裾分け持たせたりするのに必要なの!」
って、お母さん、怒るんだわ(;´д`)
お義姉さんというのは父の姉=私の伯母なんだけども、祖母が生きてた頃は週2とかで来てたんだろうけど、亡くなってからは年に数えるほども来てないはず。
伯母ちゃんに300枚の紙袋を使い切るまでに、
伯母ちゃんもお母さんもたぶん生きてないからっ!!
色んなサイズがあると便利なのは分かる。
分かるけど、各サイズで5枚もあれば十分じゃないの?
そして、当時勤めていた私の職場で、いらない紙袋をめっちゃ使う時があるので、「私が仕事で使うから欲しい!」を口実に、片づけを“させて”もらったというわけ。
実家だと、紙袋だけじゃなくて、スーパーの袋も大量に畳まれているし、お惣菜パックみたいなのも洗って保管されている。
ジャムの瓶とかも沢山あるけど、そんなのだったらまだ可愛い。樽を模したような入れ物とか、もーそんなのとっといて何に使うんだよ?!なモノも大量にある。
いざって時に使う!
という謎の合言葉と共に、それらは家のいたるところに、静かに…無理やり…そう…押し込められている。
その“いざって時”は、一体いつどこからやってくるのか。
前回のオリンピックの年だったんじゃなかろうか。
いやいや、ここに押し込められていることも、オリンピック2回分くらい忘れてませんでしたか?
下手したら「昭和」の日付とか書いてありそう…。
でね、そんな忘れているようなもののために、収納をつぶしておけるのだから、広い昔の家っていいんだか悪いんだかだよね。
子育て中収集あるある
そして幼稚園児や小学生がいるお母さんが集めがちなのが、空き箱、トイレットペーパーの芯。
はい、図工の材料ですね。
トイレットペーパーの芯ならまだいい。
いざとなったら、紙を全部外しても、それまた使えるし。
困るのはラップの芯なのだ。どうにもできないもん。
フリマアプリでそれらが売買されているというのも、分るよなー。
空き箱もね、それこそ色んな大きさ・色んな形が必要なんだよね。
夫がね嫌な顔するんですわ、こんなに必要?何に使うの?って。
いやいや、使うんですわーっ、捨てないで!(# ゚Д゚)
母と同じ顔で怒るよね、私。
上級生のお母さんに、こーゆーのとっといた方がいいよーって教わったりとか、ウチに芯余ってるよーとかって、お母さん同士の連係プレイも必須。
お友達のとこで困らないように、その分も見越して保管したりして…もうカオス。
そりゃ家の中あふれますよ、“アキポドル”ならぬ空き箱で。
せっかく集めておいたのに、図工で使う前に、なぜか家で工作して使われちゃったりとかしたらもう発狂もんです。
収集は優しさと愛と不安に満ちている
この高齢者(特にお母さん、おばあちゃん)の収集
1 モッタイナイ
2 お裾分けしたい
(作ったものを洗った瓶に詰め、取っておいた紙袋で渡す)
3 ひたすらお裾分けしたい(直で渡すのは失礼だ、紙袋に入れるんだ!)
4 災害時に使う(“アキポドル”に水を汲む)
「いざって時」というのは、お裾分けと災害にほとんどの場合分類される。
これに対して若い人(特に幼児・児童のお母さん)の収集
1 図工で使う
2 図工で使う
3 図工で使う
4 モノを大切にしなさいという親(母・祖母)世代からの教えで、
捨てられないが体に染みついている
ひたすら、図工。
いざって時は、ほぼ図工だ。
お母さーん、明日フタがある箱2つ使う~! みたいな。
前回の投稿に、娘がオルタナティブスクールに通っていたと書いたけれど、小学校は地元の公立小だったため、図工や作品展で使うために、私ももれなく大量の箱やら芯やらを集めていましたよ。
卒業したとたんに捨てました\(^O^)/
違うようにみえて共通しているのは、
【優しさ】【愛】と【不安】
モッタイナイという作った人への敬意と環境への配慮
分け与えたいという優しさ
子どもに思い通りに作ってほしいという優しさ
必要な時に家族が困らないようにという愛情
そして家族や友人が困ったらどうしようという不安
それらから必要以上に集めてしまうような気がする。
特に【不安】に関しては、災害大国日本だからこそ、余計に感じることかもしれない。
そしてその都度起こる物資不足からも、モッタイナイ気持ちは脈々と受け継がれてきたのかもしれない。
それと教育現場での、イジメとまではいえないような日々の子どもの残酷さ。
もし材料が不足することで良いものが作れなくて、友達から嫌味を言われたらかわいそう。箱ぐらいのことでそんな思いをさせたくない。
実際そういう意地悪を言う子は必ずと言っていいほどいましたから。
これをね、払拭するのはなかなか難しいこと。
「捨てればいいじゃん!」ですむなら、みんなそうしているのです。
そして、優しさと愛も含んでいるのだから、そこはちょっと目をつむり、そっと気づかないうちに捨てる(笑)。
そうしていただけるとホントありがたい。典型的な収集お母さんである私の切なる願い。
いや、できれば捨てないでね♡
“アキポドル”や空き箱を集めるだけで、世の中のお母さん達の心配事が1つ減るなら、それこそLOVE & PEACEじゃないかね?
はい、また長々とどうでもいい話を書きましたよ。
オチもまとめもないです。いつも通り。
「4年に1回あるかないかのためのモッタイナイ精神…な話。」
2020年1月29日のTwitter投稿のスピンオフでした。
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