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ふくしま浜街道トレイル冒険録3:Jヴィレッジの出会い(広野→富岡)

 今日は、双葉郡広野町から楢葉町を経て富岡町までを歩く。いずれも原発事故による避難指示の影響が大きかった自治体だ。
 あなたは、福島第一及び第二原子力発電所が所在する市町村の名前を答えられるだろうか?あれだけ世間を騒がせた事故にも関わらず、正確に答えられる方は多くないように思う。正解は、福島第一原子力発電所が「双葉郡大熊町」及び「双葉郡双葉町」、福島第二原子力発電所が「双葉郡富岡町」及び「双葉郡楢葉町」だ。
 4つの自治体は、全て双葉郡に属している。つまり、かなり大雑把に近似すれば、「福島県の原子力発電所所在地」≒「双葉郡」と近似することができる。
 もう一つ、地域区分のようなものに、「福島県12市町村」という風に呼ばれるものがある。これはその市町村のうち一部でも原発事故により避難指示が出ていたことのある自治体の総称で、双葉郡に属する全8町村のほか、南相馬市、田村市、相馬郡飯舘村、伊達郡川俣町から構成される。3分の2が双葉郡から構成されているので、やはり、「原発事故により大きな影響を受けた地域」≒「双葉郡」と乱暴に近似してしまっていいように思える。にも関わらず、「双葉郡」という地名は、全国的にはあまり知られていない。
 そこで、本題に入る前に、これからしばらく歩くことになる「双葉郡」という土地について少し整理しておきたい。

 そもそも、「郡」という土地の単位に馴染みのない方も多いだろう。郡とは、律令制の時代まで遡ることのできる地域区分で、かつては日本の大半の土地はいずれかの郡に属していた。例えば、東京都心部はかつて荏原郡や豊島郡といった郡に所属していた。しかし、現代の市町村制では市及び特別区は郡に属しないことになっており、町村部にお住まいの方以外は住所に「郡」を冠することはないので、自分の住んでいる土地がかつてどの郡に属していたか、なんてことは気にしたこともない方がほとんどだろう。
 「双葉郡」という郡は、明治29年に標葉郡(しめはぐん)と楢葉郡(ならはぐん)の合併により成立した。名称に「葉」を含む二つの郡の合併により成立したから双葉郡と命名されたわけだ。その後一部をいわき市に編入し、8つの町村、すなわち広野町・楢葉町・富岡町・川内村・大熊町・双葉町・浪江町・葛尾村となり現代にいたり、そのすべての町村が原発事故により大きな影響を受けた。
 現代の地域区分では、福島県浜通りは北側の「相双地方」と南側の「いわき市」に区分される。「相馬郡」と「双葉郡」の頭文字をとって「相双地方」である。部活の大会なども相双地方のくくりで行われるため、相馬市(旧相馬郡)在住だった私も、中学高校の部活では相双大会に出場して双葉郡に所在する体育施設で試合をしたことがある。

 ともあれ、荒っぽい近似ではあるが、「双葉郡」≒「原発事故により大きな影響を受けた地域」という理解をひとまずおさえておいてほしい。
 もっとも、私の旅の手段は徒歩。いったん大雑把に捉えた「双葉郡」という土地を、自分の足で一歩ずつ歩くことで詳らかに見つめなおしていきたい。


Day4:広野駅→富岡駅

2024年2月10日(土)
 前置きが長くなった。歩みを進めていこう。
 広野駅に降り立つと、発電所の煙突が目に入る。これは広野火力発電所の煙突だが、土地勘の無い人が見たら原発の煙突だと勘違いしてしまうかもしれない。火力発電所は浜通りには広野のほかに、勿来、原町、新地の火力発電所が立地し、原子力発電所が廃炉を進める一方で火力発電所は今でも電源としての機能を担っている。

広野火力発電所

 広野町と楢葉町の境界にはサッカーの聖地としてサッカー日本代表のキャンプにも使われたことのある「Jヴィレッジ」がある。メインスタジアムでは、高校ラグビーの青森山田対黒沢尻工業の試合の準備がされていた。

 Jヴィレッジに隣接して、JR常磐線のJヴィレッジ駅がある。この駅は震災後に新しくJヴィレッジの玄関口として作られた駅だが、ふくしま浜街道トレイルをセクションハイクする際のセクションの区切りとしても使えるだろう。トレイルは、Jヴィレッジの中を進んでいく。練習場の入り口で地図を確認していると、向こうからハイカー風の男性が歩いてきた。話してみると、彼は北からふくしま浜街道トレイルを歩いてきたそうだ。のみならずみちのく潮風トレイルも全線踏破済とのこと。今までみちのく潮風トレイルを歩いていても数えるほどしかハイカーとすれ違うことができなかったのに、浜街道トレイルで逆方向のハイカーとすれ違えるとは。嬉しくてしばらく立ち話に花を咲かせていた。

Jヴィレッジ駅に停車する列車
Jヴィレッジにはサッカーのピッチが何面も並んでいる

 今でこそサッカー選手で賑わうJヴィレッジだが、震災の際この場所は原発事故対応の最前線基地として機能していた。Jヴィレッジの館内には、そのころの物々しい写真が展示してある。広野町は双葉郡の最南端。一旦は全町が避難を余儀なくされたが、避難指示の解除も比較的早く、除染や廃炉作業に取り組む方たちの拠点として機能してきた。

 Jヴィレッジから北側は、双葉郡に入って2番目の町である楢葉町となる。楢葉町の中心市街地木戸の街並みを抜けて立ち寄った天神岬スポーツ公園は、家族連れでずいぶんにぎわっている。ここのレストランでは、「マミーすいとん」を食べることができる。マミーすいとんとは、かつて日本代表を率いていたトルシエ監督がJヴィレッジでの合宿の際に食べ、「おばあちゃんの味」だと語ったことからマミーすいとんと名付けられたといい、すいとんの入ったあっさりとした美味しい醤油味の汁ものだ。フランスの人にとっては、すいとん、すなわち小麦粉のダンプリングがおばあちゃんの味なのだろうか。

 天神岬から北へ歩いていくと、いよいよ双葉郡に2か所ある原子力発電所のうち南側に位置する「東京電力福島第二原子力発電所」が近づいてくる。震災で事故を起こしたのは第一発電所で、第二発電所は事故こそ起こさなかったが、こちらも廃炉されることが決まっている。第二発電所は山に囲まれていて、存在感はあまり大きくない。第二発電所のある山を回り込み、トレイルは双葉郡楢葉町から双葉郡富岡町に入っていく。

山の向こうに東京電力福島第二原子力発電所を望む

 双葉郡には、原発事故に関連する展示施設が点在している。その一つ、富岡町にあるのが環境省が運営する「特定廃棄物埋立情報館リプルンふくしま」を見学する。「特定廃棄物」とは、簡単に言うと原発周辺の地域から排出された災害廃棄物などのことで、この廃棄物は福島県内で埋め立て処分される。よく話題になる「中間貯蔵施設」に保管されている廃棄物とは異なるルートで処分される。
 と、自分で説明していても正直よくわかっていない。中間貯蔵施設もこの先の行程で見学することを予定しているので、その時に改めて整理したい。

 富岡駅で本日のセクションを終える。富岡駅は常磐線の中で数えるほどしかない海が見える駅のひとつで、東日本大震災の際は駅舎が流出する被害があった。
 この日は、約25kmを7時間30分で歩いた。

北側のセクションは↓

南側のセクションは↓

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