「進撃の巨人」最終話の始祖ユミルの思いを考察する
昨日、進撃の巨人の最終巻を読み、全て読み終えました。
めちゃくちゃ面白かった!
ネタバレがありますので、まだ読んでいない方はここから下は読まずに戻って下さい。そして、進撃の巨人を読んでください笑
最後にわかったのは、始祖ユミルがミカサを見続けていたという事。「二千年後の君へ」という1話のタイトルはミカサを指していたと。
始祖ユミルは初代フリッツ王の奴隷でした。村を攻められ掴まり、舌を切られたユミルは、さらに豚を逃がした罪で「自由」を与えられます。犬に追われ、弓を撃たれ、なんとか逃げ込んだ洞窟で足を滑らせ水に落ちます。
そこで「巨人の素」に触れ巨人の力を手に入れます。
その力を持ったのが奴隷のユミルであると知ったフリッツ王は、その力を利用し、部族を発展させたり、戦争に勝ち領土を拡大していきます。
しかし、突如襲われたフリッツ王を守る動きをしたユミルは心臓を貫かれ死んでしまいます。巨人の力を持っていればそのくらいでは死なないのですが、傷を治す為には生きる意志が必要でした。
守った際にフリッツ王が放った言葉が「お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる。起きて働け。お前はそのために生まれてきたのだ。我が奴隷ユミルよ」でした。
この言葉で生きる意志を失ったユミルは死んでしまい、「道」へ行く事となります。
では、なぜユミルはフリッツ王のこの言葉で死んだのか。それは、フリッツ王を愛していたからです。エレンが言っていますが、これは間違いないでしょう。
ユミルは奴隷の時に結婚式をじっと見るなどの描写があり、愛というものに憧れを持っている事がわかります。巨人の力を持ったことでフリッツ王との間に子供を持つことを許され「家庭」を持ちます。
王と奴隷という立場はあっても、働きを褒められたり、子を生んで褒められたりなど、奴隷ではない扱いもされてきたのでしょう。その日々の中で、ユミルは王に愛の感情を芽生えさせました。
「王の為に」「王の為に」この思いが強くなっていき、この思いこそが愛だと思うようになりました。しかし最後に王を守った時に放たれた言葉に愛はありませんでした。
失望や絶望を感じたまま死んだユミルでしたが、愛されたいユミルは「道」に行ってからも王への愛は変わらずに持っていました。
フリッツ王が望んでいる事は「エルディアはこの世の大地を巨体で支配し、我が巨人は永久に君臨し続ける。我が世が尽きぬ限り、永遠に」でしたので、その王の思いの為にユミルは巨人を作り続けました。
その行為こそが王への愛だと信じて。
しかし、ユミルは苦しかった。巨人が人を殺す事、苦しめる事、その恐怖で支配する事が正しいとは思っていなかった。でも、巨人を消せば「愛」が無くなってしまう。そう思ったユミルは巨人を作り続けます。
そんな中で、ユミルはミカサを見つけます。ミカサはアッカーマンなので記憶が改ざんされない。そして、エレンを深く愛している。そのエレンにミカサがどう接していくのか。どういう行動をとっていくのかを見ていました。
そして最後、ミカサはエレンを殺して口づけをします。
エレンは自分が死ぬことでしか「愛するみんな」を守れない事をわかっていました。たくさん考えて悩んだ結果が「地ならし」でした。「ミカサやアルミン、みんなを救いたい」これがエレンの願いでした。
ユミルはこのミカサとエレンの最後を見届けました。ミカサはエレンを殺す事でしか愛し合えない事を理解し、エレンを殺しました。そこには「本物の愛」がありました。
ユミルは子供たちに「愛されていた」のにフリッツばかりを見て気付けていませんでした。もしくは気付いていたけど、フリッツに愛される事しか考えられなかった。
でもミカサの「本物の愛」を見て、ユミルも「本物の愛」に気付きました。ずっとミカサの頭を覗き続けていたユミルにはすぐに理解が出来ました。それが、139話で王の胸に槍が刺さり子供たちを抱きしめている描写です。ユミルは「子供たち」こそ愛す相手だと気付きました。
愛する子供たちを殺し苦しめていた巨人。愛の為に作り続けてきた巨人。それはもう必要ないんだと、消すべき「愛」なんだとユミルは思いました。
そして巨人の力は消え、アッカーマンの力も消え、ユミルも消えました。
以上が僕なりの考察です。たくさんの解釈や答えがあると思いますが、個人的には腑に落ちています。もう1回読んだらまた考えは変わるかもしれませんが、進撃の巨人はそういう物だとおもうので、それも楽しいなと思います。
アニメが再開するまで少し時間は開きますが、それもすごく楽しみです!