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舞台に立つために必要な覚悟

役者として活動してきて思ったのは、芸歴〇〇年って言葉で表現者の技量や熱意や表現力は測れないってこと。正直に言うと、20年やってても何も伝えられない役者はいるし、相手役を無視して自分の事しか出来ない役者もいる。

役者っていうのは免許がいらない。プロとアマの線引きも曖昧。だから多くの人がチャレンジできるし評論家も気取りやすい。SNSではドラマや映画の演技を批判する投稿もよく見かける。でも、その批判に疑問を持つ時がある。それは何か。「無力と無気力」を理解していないという事。

「無力」はその名の通り力が無い状態。芸歴が短かったり、経験不足で実力が無い人を指す。「無気力」は実力があろうが無かろうが努力していない状態を指す。批判していいのは「無気力」だ。「気力のある無力」はいい役者になれる可能性がある。拙くても下手くそでも、役を生きようとする意志が見えたり、その瞬間を相手と繋がろうとしていたりする芝居が見れれば、それは準備をしっかりとした「いい芝居」だ。それを見る事の出来ない人たちは表面的なテクニックや形式的な芝居に騙され賛辞を送り批判する。それが簡単に見れるようになったのは多くの「作品」にとっていい事とは言えない。少数の「作品」にとってはいい事だけど。

カメラの前や板の上に立つ為に必要な事は「覚悟」だと思っている。主役とワンシーンだけの役では責任の重さは確かに違う。しかし、覚悟は同じでなければならない。「見られる覚悟」を持って稽古し、日々を過ごし、本番に挑まなければいけない。映画にしろTVにしろ舞台にしろ、見てくださる方は時間を作品に費やしている。言い換えれば時間を奪っている事になる。「無気力」な時間など1秒たりともあってはいけないのだ。にもかかわらず、世の中にある作品の多くにその時間がある。

特に舞台はわかりやすい。カメラを通さない演技がこれほど「見える」のかと思うほどわかりやすい。酷い時は2時間もの間「無気力」を見せられる事もある。しかも珍しくもない。たちが悪いのは、それを役者たちが気付いていないという事。役者です。俳優です。という満足感だけに浸って、さも名優かのような気分でそこにいる。クソみたいな2時間を観客に与え、それと引き換えに自己満足を得て、また舞台に立ちたいなんて考えている。

舞台なら劇場への行き帰りの時間、交通費、観劇時間、チケット代といったお金と時間を使わせる。その上で、「あなたの演技をみせる」わけだ。あなたに実力が無いのはかまわない。だけど、100%を稽古期間でやってこれたのか?「見られる覚悟」を持ってやってきたのか?本番を見せていいのか?「成長できました」や「がんばりました」なんか観客には関係ない。あなたの成長を見たいのではなく作品を見たいし、頑張るのは当たり前の最低限だ。言っておくが、「無気力な稽古」を重ねてきて、本番だけ凄い魅力的な芝居ができるなんて事は絶対にありえない。楽をしていい芝居が出来ると思ってるなら舞台に立たないでくれ。迷惑だ。お遊戯会でもやっててくれ。趣味で無料でやってますならまだ許せる。時間は奪われるけどマシだ。

1円でもお金を払わせるのなら「見られる覚悟」のある芝居を。幕が上がる直前に客席から「いいんだな?見るぞ?」「見られてもいいんだな?」って声がたくさん聞こえてきて、それでも幕を上げる決断ができるのか。それは役者も演出家も舞台監督もスタッフもみんな同じだ。結果的にやってきた事が間違いだったとしてもいい。本気で役を知ろうとし、向き合って過ごしてきたのならそれは伝わる。これから演技を始める人も芸歴20年30年の人も「見られる覚悟」は平等で、何よりも重要だ。

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