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[恋愛小説]1989年の憂鬱...5/それぞれの家族

優樹は、モデルハウスの一室、設計室と呼ばれていた個室で一人図面を描いていた。

元はトレーニングルームだったので、6畳大の床には麻のタイルカーペット、壁は檜の縁甲板の横張り、天井は小屋裏3階の梁まで吹き抜けに成っている。

これまでのハウスメーカーの設計課とは大きな違いだが、これから故郷の地で腰を据えて働くと言うことが、こういう事だろうと諦念していた。

逆に言えば、自分で思うように出来ることが多い。
技術的には大企業の企画書や分厚い仕様書も無く、全てがハンドフリーだった。

しかも直属の上司が営業所の所長だけで、全てにおいて、意欲が無い人物だったし、指導力も無かった。
直ぐに、自分の事務所の様に運営することも可能だと言うことに気がついた。

営業も3人しか居ないので、企画や基本設計は全て自分が担当すると提案した。
彼らがそれを拒否る訳もなく、それ以降、基本設計は全て優樹が作成し、実施へ移行した。
だから、施主との面談、要望ヒアリングからプラン作成、基本設計、見積もり、実施図作成、まで優樹が行い。
確認申請は外注、施工は関係工務店、回収は営業という、役割分担は直ぐに出来た。
それが新しい組織に改編されるまで、続いた。

だから仕事は手の内にあり、面白かった。
早朝から深夜まで、仕事をした。
それがさせられる仕事では無く、自分がコントロールしてやる仕事なので、ストレスも無く、意欲的にできるものだった。

優樹の仕事の履歴中で最も面白かった時期かも知れない。

それまでハウスメーカーの社内の営業や設計、工事という組織内部の人間関係の中で仕事をしていたが、そこは内部が無く、ほぼ全てが外部との人間関係だった。

特に大切なのは、施主との関係だが、仕事の9割はここで決まった。
だから最初の要望ヒアリングから引き渡しまで、その対応は十分配慮された。
場所的に、国立大学や同研究施設が多く、施主も教授や研究員が多い。

また、施主との打ち合わせからそれぞれの夫婦や家族を垣間見えてくる。
前向きに自分たちの住処を造ろうとする家族、うまくいかなくて、繋ぎ止める為に家を建てようとする夫婦もいる。
やはり接していて、明るい笑い声の絶えない夫婦が一番素敵な関係に見える。
その反対もあるのだが、それは残念に思えた。
そういう風な様々な夫婦関係を見るに付け、美愛と自分は周りからどう見えるのか、素敵な夫婦に成りたいとも、思ったが、それはひとえに優樹の責任ある行動如何だと思われた。
だから、素敵な夫婦には、温かな家庭が集える家を造りたいと思うし、冷たい夫婦関係の二人には、温かな家になるよう、精一杯プランニングをした。

だから力点は、家族が集うリビング・ダイニングになった。
今ならそこにキッチンが加わるのだろうが、時代はそこまでまだ行ってなかった。

その時から、この職業は、一歩道を踏み外すと大変な事になると気が付いた。

それが1991年の出来事だった。


1974年の早春ノート タイトル一覧と公開予定日を、下記の通りに前倒ししました。
注意: [R-15]と表示されている回は過激な性的表現があるので、気分を害する恐れがあります。ご心配な方は、他のページへ移動することを、お薦めします。]
 
第1部
1.ダンスは踊れない^7/4
2.小さな恋のメロディー^7/5
3.弘道館公園^7/6
4.クリスマスの夜^7/7
5.春の気配^7/8 
6. 新緑の頃^7/9 [R-15]
7.夏の日々^7/10 [R-15]
8.インディアンサマー/ ^7/11
9.八王子って何処?/ ^7/12
10.雨のステーション/ ^7/13
 
第2部
1.    誰のために生きるのか?^7/14
2.    新たな道^7/15
3.    湖畔の家^7/16
4.    エンゲージリング^7/17
5.    四人の盛夏^7/18 [R-15]
6.    跡取りの苦悩^7/19
7.    婚約^7/20
8.    突然の知らせ^7/21
9.    急いだ結婚式と長い披露宴^7/22
10.  葬儀と住人講^7/23
 
第3部..
1.    新しい当主^7/24
2.    ゼネコンと現地…^7/25
3.    初夏の北海道 その1 ^7/26
4.    初夏の北海道 その2 ^7/27
5.    再生 湖畔の家 ^7/28
6.    疑惑 ^7/20
7.    愛の奴隷^7/30
8.    起業^7/31
9.    明かされた事情^8/1
10.  家を継ぐ^8/2



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