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[恋愛小説]1978年の恋人たち... 8 /スペイン坂

二人の実家にそれぞれ挨拶に行ってからは、また元の平穏な生活に戻った。両家とも、予想してたよりもきついリアクションは無かったので、ふたりともホットしている。内心ではいろいろと有るのだろうが、表だって反対されていないので、地道にそれぞれの評価ポイントを積み重ねて行くしか無いとふたり話した。まっ、それが一番大変なんだが…。

9月になり大学が期末試験を終え、後期に入ると優樹は、研究室の先輩から紹介された設計事務所にバイトに行きだした。その事務所は、渋谷・道玄坂の途中にあり、授業が終わるとバイトに行った。初めての設計事務所は緊張もしたが、スタッフたちは親切でいろいろ気を遣ってくれるのが、分かった。
実は、設計事務所という業界も含め、バイトは初めてだった。大学に入っても、学業優先で良いからと周囲に言われていたので、積極的にしていなかった。八王子郊外という、足の便が悪い所にいたせいもあると思うが。
それに、美愛との将来を考えると、働く=稼ぐ=美愛との生活 という、3段論法が生活のメインになってきた。今までの学業優先は実は、生活優先と表裏一体だったと言うことが、初めて実感された。

10日も過ぎたある日、所長が優樹のところに来て、いろいろと質問した。世間話と思った優樹は、へらへら答えていたが、後でそれが面接試験だったと言われた。世の中は油断できない事を痛感した。

後期の設計製図の課題は'Mini Plaza'だった。ハーバード大のDコース出の講師が指導教官となり、難しい課題に取り組む事になった。通常の課題の敷地は与えられる整形され平坦な条件が一般的だが、今回は実際の敷地を自分で探しだし、その問題点やメリットに対し自分の視点で解決策や提案を盛り込んだ設計をするという、レベルの高い課題だった。
バイト先の先輩に相談すると、宇田川町から東急ハンズへ抜ける近道に面白い坂があると教えてくれた。車が入れない道路幅で、緩やかな登り坂で最後はクランクカーブで先は見えず、階段になっている道で、細い道の割に人通りは多い。だが、面する店舗や建物は、その道に関係ないポテンシャルが低い物ばかりだった。しかも階段を上がった左角には、ラブホテルまであった。
先輩には、ラブホテルの入り口は、こういう角にあると、自然に入りやすいので、それはセオリーだと教えられた。はぁ~。

休みの日に、美愛と二人で、渋谷駅から宇田川町のその坂に行ってみた。登り切った左角には、そのラブホがあった。
それを見た瞬間、美愛に睨まれた。そこへ連れて行かれると思ったらしい。みるみる美愛の顔が不機嫌に変わってきた。
優樹「いやいや、そうじゃないから」と必死に弁解する。
美愛「ふん!」
優樹「東急ハンズで模型材料を見たいんだよ。」
美愛「あら、そう。ほんとかどうか、怪しいもんだわ。私は、公園通りでウインドウショッピングしよう。」
しょうがなく、1時間後渋谷公会堂前で待ち合わせとなる。横浜ホテルニューグランド以来、何故かガードは元の堅さに戻っている。本当に、女心は分からない。

それから、丹下健三先生が設計した代々木体育館を見たいという優樹の希望で、体育館を一周し、代々木公園を歩き、原宿へ行った。
まるで、お上りさんである。と言ったら
美愛「お上りさんの何処が悪いの?」と…。
最近、どうも美愛の方が強気である。というか、その尻に敷かれているようにさえ、感じてきた。おかしいな、こんなはずでは….。と優樹は思っていた。

課題だが、ラブホの敷地に、その坂に関連付けたステージを持つ広場と、スパイラルな構造を持つショップをデザインし、提出した。
講師からは、好評で初めて80点を取り、みんなの前でプレゼンし、講評を受けた。いろいろと質問され、それに対し返答するという体験を初めてし、設計の奥深さを知った。益々設計への興味が増した。
それをきっかけにいよいよデザインの道へ進むことになったが、美愛に説明しても、
「ふーん、そうなんだ。」という返事しか無かった。ここでも、相手に考えていることを伝えるという難しさを痛感している。

ところで、宇田川町の坂は、今スペイン坂と呼ばれ、ラブホテルはwww というライブハウスになっている。

それが、1978年10月下旬の出来事だった。




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