[恋愛小説]1978年の恋人たち...2/桃花荘
実は桃花荘に引っ越してきたのは、2月中旬だったが、一晩だけ泊まって、茨城の実家に帰っていた。
バレンタインにお手製の特大チョコレートをくれた恋人の水原美愛(みえ)がいたので、いそいそと帰省したが、別なところで大事件が勃発し、約1ヶ月間のブランクが出来てしまった。
美愛については、いずれ触れるが、今回は南台に住もうと決めた経緯と訳を書こうと思う。
3年に進級できると決まった2月中旬に、八王子と新宿を結ぶ京王線沿線で新しい住処を探した。
新宿からそんなに遠くない、明大前駅の不動産に飛び込みで入り、条件を話すと、3つ程物件を紹介してくれた。話を聞いていると、「この物件は駅から少し遠いけど、良いですよ」と勧めてきたのが、南台だった。駅は、2つほど新宿よりの笹塚駅で、そこから不動産の足で15分だと言う。部屋は、6畳、3畳、に簡単な流しが付いて、今の賄い付きの家賃と同額だった。
彼とそれを見に行くことになった。駅から歩く彼の足は早かった。不動産屋のいう最寄り駅からの時間とは、その速さなのだと初めて知った。
15分間の急ぎ足で、ようやく着いたアパートは桃花荘と言った。大家の前を通りその隣にあり、気の良いおばあちゃんが対応してくれた。案内された部屋は2階の南側に面していて、6帖の他に3畳の二間は、A0サイズの製図台があるので、少しでも広い部屋は良かった。何より、南側と東側に面しており、大きな落葉樹が東南の角に有り、枝振りは広く、南の窓の過半を占領していた。葉が茂る頃なら、窓は殆ど覆い隠れそうな様子である。
それに東側の窓から、西新宿の超高層ビル群が見えるのは、驚いた。
その部屋に決めたのは、それも大きかったと思う。
今なら南台から超高層ビル群は見えないと思う。しかし1978年当時はまだ低層の住宅しか無く、夜はそれらの屋上で点滅する航空機警告灯が綺麗に見えた。そうして、3年住むことになった。
後で分かるのだが、優樹の前の住人は、赤ちゃんのいる若い夫婦だった。
住むのが1ヶ月遅れた訳は、優樹が地元のT大学構内で、起こした事故で入院していたからだ。優樹の運転するマークⅡは大破して全損だった。優樹の額には、ルームミラーで切った傷が出来、白い包帯が巻かれていた。
二日後歩けるようになり、病院から美愛に電話をすると、彼女は直ぐに病院に飛んできた。優樹の顔を見るなり、安心したのか泣き始めた。
「心配したんだから…。」としゃくり上げながら言う美愛を見て今まで以上に愛しく思った。
事故を起こしたことで、「暫く運転でき無いな。」と優樹が言うと、
「そんな事、良いから。」と美愛が涙目で返事をした。
それが1978年2月下旬の出来事だった。