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プレ読書会の話しを

この日は、『伊東潤の読書会』関連イベント? 『プレ読書会』

「読書会のための読書会」そして「読書会の前の読書会」だ


言葉にすると、訳分からない(笑)

ただ、この不可思議な存在に、潜在的需要があると思っている。

やはり人間は、理屈や理性だけじゃ説明できない存在だ。

むしろこれから何かをしよう、と思ったとき、この感覚や視点なしでは芯を喰うことはできないんじゃないか。

と、思ったり、思わなかったり。


『プレ読書会』は色んな意図や狙いがあって、伊東さん公認の元運営していて、気がつけば今回が4回目。

前回あたりから集客はある程度安定してきて、僕よりタケダさんの方がホッとしているに違いない(笑)


そして、今週は色々ありすぎて、『プレ読書会』が一つの道しるべになるほど、僕は疲弊していたらしい。早めに仕事を切り上げ、ワクワクしながらお店に向かう自分に戸惑う。


しかも思ったよりも時間に余裕ができたので、渋谷の「BOOK LAB TOKYO」に立ちより、「推し本CAFE」をみることができた。

どれも面白そうな本ばかり。まともに読み始めたらどれだけのお金と時間が必要なのかねえ、と思いつつ、『酔象の流儀』を読む。

この本、そろそろラスト。滅びの時が少しずつ着実に迫ってくる展開、赤神さんはこういうのを淡々と描くのが本当に見事、ドン引きするくらい(苦笑)


程よい時間になってきたので会場へ移動。ちょうど会場の店(飲み屋)の前でタケダさんと合流。「おつかれ~」とフワっとした感じで挨拶されると、ああ、週末の月初め、お互い疲れたよねえ、と勝手に同調。

この後、他の参加者が来店するまで、先に飲み始めたのだけど、このビールが上手かったなあ。


『プレ読書会』の大きな役割は、冒頭の不思議な言葉の通り『伊東潤の読書会』に向けて、わからないところや、課題作品の率直な感想や要望などを語り合う場所を作ること。

大人数じゃなくていい。まあ3人いればやろうか、くらいのノリ。正直なところは。

最近、この『プレ読書会』を続けていることを高く評価していただいている、と伺ったり、「実は気になっていた」「日付があわなくて行けなかった」などの話しを聞くことが増えていて、ジワジワと自分を褒め始める。

もちろん、内容は重要なのだけど、このご時世、続けていること自体が一つの特異性となっているんだなあ。

先ほどのコメント聞いて思い出したのだけど、「メモ魔会」もtwitterみると2人の会もあったけど、ちゃんと毎回やっている。未参加の身からしても(勝手な)親近感湧いてくる。

継続に対する信頼性が大きな要素になっているのなら、何でもいいから(何かを)主催・共催して、地味でも僅少規模でもいいから続けることって、挑む意義あるのかも。


さて、この日の『プレ読書会』は自分を含めて4人。

前回もそうだったが、最初は自己紹介して、簡単な感想言い合って~、など探り探りで始まるのだけど、途中から一気にドライブが入ってくる。

今回、たまたま時間制(飲み放題)にしなかったら、時間を気にせずしゃべりまくっていたら、4時間越えの大盛り上がりで幕を閉じた。

お互いの近況話したり、課題作品の率直な感想言ったり、グチ言ったり、ざっくりした読書会の話ししたり、などなど。

入り口は読書会だったけど、いい意味で入り口でしかない。

自分の好きな、話しやすい話しを、聞いてもらえる相手に話す。

ただ、それだけの時間であり、それだけの場所。


それが貴重、なんだと、改めて気付く。

そんな機会が予定通りの日々の中で出てこないとしたら寂しいことだと思う。だからといって、探し求めるのもなんだか哀しい。

たまたま見つかったり、予定があったときに訪れた場所が、居心地良ければそれでいい。

僕はただ、用意して、告知して、待っていればいい。


『プレ読書会』は今後もそんな気分で開いて、待っていようと思う。


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