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一歩踏み出すその瞬間
随分ご無沙汰になってしまいました。
卒論に追われながら、あんなこと書こうかこんなこと書きたいと考えてはいましたが、なんやかんや発表会を終え、落ち着いてから1ヶ月弱が経ちました。
今回、リハビリとしては勇気のいる内容について書いてみたいと思います。
洋服への思いについてです。
私のことをよく知っている人であれば、まあ服が好きなんだろうなというのはご存知かと思います。
洋服が好きな友人も多く、洋服について書いてみたら?という提案は以前からいただいていたのですが、私は洋服について書くことを避けていました。
逃げていた。
怖いのです。
洋服を好きになるにつれて、たくさんの出会いがあり、多様な洋服との向き合い方、思いを見聞きしてきました。
畏怖をおぼえるほど、尊敬できる人もいます。
そして、洋服について、唸るような素敵な文章をいくつも読んできました。
そんな人たちがいることを知っているのに、洋服について書くことが怖かった。自信がなかったのです。
それともう一つ、私は"洋服だけ"の人間になることにも恐れています。
私にとって、洋服とはかけがえのないモノです。
今は無意識に過ごしている時間のほとんどは、洋服について考えています。
それほどに、時間も愛情も注いでいます。
しかし、私にとっての洋服という要素は、多面的な私の一面以上になりたくないという思いもあります。
洋服を蔑ろにしているというよりは、洋服に注ぐ愛情や時間と同じぐらい、他の領域も磨きたいのです。
私にとって自らの内面を反映した文章を書くというのは、洋服と同等には情熱的で、大切にしたい領域です。
そこにまで洋服が食い込んでしまうと、私という人間は、洋服一色になってしまわないかと不安なのです。
ですが、書いてみたいという思いは自分の中でも、かなり前からあったので今回は挑戦してみようと思います。
今回は主に洋服を"着る"ことについての、思いやら考えやらを中心に書いていければと思います。
購買経験と洋服を着ることとを切って話せるものなのか、というより切って話すべきものなのかという気持ちもあるのですが、あまりにも纏まらなくなりそうなので、できるだけ着ることについてを中心に書いていきたいと思います。
そんなことができるのかどうかは、読み終わってからのお楽しみということにして、前置きですでにこの調子なのでおそらく長くなるかと思います。
でも、私が今すごく強い思いを持って向き合っている領域で、私という人間がすごくよく見えるお話になるかと思うので、洋服の興味に関わらず、できたら最後までお付き合いいただきたいと思っています。
それでは、今回なぜ書こうと思ったのかというところから、お話しできたらと思います。
これだけ好きといいつつ、約1000字も渡って前置かないといけないトピックである洋服。
なぜ、今になって書いてみようと思ったのか。
それは、自分で自分の洋服に対する考え方や着方が認められてきたからです。
洋服には幼い頃から興味がありました。
ただ、それはある特定のブランドを興味をもちつづけてきたとか、古着や系統に対してこだわりをもちつづけてきたみたいなことではありません。
なんとなく、オシャレするのが好きでした。
自分の記憶の中では小学生の頃から、オシャレをするのが好きで、中学生、高校生と流行に逆らうことなく、時代にあった様々なオシャレを求めていたと思います。
そして、本格的に洋服を自分で、こだわりを持って買い始めたのはここ4〜5年だと思います。
本当に色んな格好をしました。
どんな系統のどんな洋服を着てきたかという、具体的な話はここでは割愛しますが、飽き性なこともあり、所謂系統というものがコロコロ変わったものです。
それが今、自分の礎となって返ってきたタイミングなのだと自分では思っています。
着たい洋服が変わるたびに、見る店が変わり、見る人が変わり、取り巻く文化が変わる。
自分にはカルチャーがありませんでした。
勉強以外に幼い頃から続けてきたものや、親が好きなものからの影響、アニメや音楽といったサブカル的な土台みたいなのはほとんどありません。
時代の流行りや周りの人たちに流されながら、好きなものや摂取するものが変わってきた人生です。
ですが、結果としてそれが良い方に転んでいると最近は思います。
それは、関わる人やコミュニティが多様であるということに起因していると思います。
つまり、周りに流されやすいものの、その周りの多様性が故、コラージュ的に自分が創り上げられられ、結果としてそれが私のカルチャーの代わりとなっているのです。
こうして書いてみると、周りに流されやすいというのが悩みというかコンプレックスだったんだと気付かされます。
なんか自分とか軸がない気がして。
しかし、そのこと自体は変わっていないけれど、今ではそんな自分だからこその色があって、それが洋服というミクロな領域でも自分に自信が付いてきたということなんだと思います。
きっと周りに流されているといっても、自分で選んだものを咀嚼して、飲み込んだうえで反映してきたのだから、軸がないとかそんなネガティブなことではなかったのだとさえ思えています。
かなり脱線したような気もしますが、こんなことを背景として、洋服という形で自分を表現できていると思えるようになったのが、今回書こうと思えた最大の理由です。
自信がついてきたというとそれまでなのですが、そんな今だからこそ、未来の自分に向けてもここで一度洋服への思いを纏めて残してみようと思ったのです。
ようやく今の洋服を着ることへの思いを書き始める段階に入りました。
もう少しお付き合いください。
シャツなのかニットなのかといったようなアイテムの種類以外にも、洋服を着るにあたって考えることがいくつもあると思います。
ざっくり挙げても素材やシルエット、色などがありますが、加えてモノの背景や購買経験といった事情なども着る服を選ぶ際に作用してきます。
自分のこだわりとして、○○系とか○○っぽいと思えてしまうのがとてもイヤです。
周りから見てそう思われたり、そう言われる分には全くもって構わないのですが、自分でそう思ってしまったスタイリングは、着るのをやめてしまいます。
自分でこのように思ってしまう時、その合わせ方には文脈がないことが多いのです。
なんとなく纏まって見える服をパパッと選んだり、ただ気を衒った着方なだけであったり、いい洋服を着ているだけであったり。
とにかく記号的すぎる、というように感じてしまいます。
服を選ぶ際には、個人的にはその日のスタイリングに文脈があるのが好きです。
テーマというと月並みですが、誰に語るでもない物語があるスタイリングが好みです。
ただここで、全部が全部言葉にできるとそれはそれで野暮というか、酷く対外的であるように感じてしまうところも一方であります。
なんとなくな部分も欲しい。
論理的に"外す"というか、スタイリングに余白を置いときたいのです。
物自体が仮にアイコニックであっても、スタイリングとして見ると記号的でないように自分の中の論理を持って洋服を着たいけど、なんとなくで選ぶ部分も欲しいといった矛盾に襲われながら洋服を着ているような気がします。
明日着る洋服を考えたり、次に何を買おうかと考えることは大好きで、楽しくて仕方がないのですが、すごく苦しくて投げ出したくなる時もあります。
なんか納得いかないとか矛盾に塗れてどうして良いかわからず、ぐるぐる巡る思考に溺れて息ができなくなるみたいな感じです。
では、こんなに大好きだけど苦しくて、悩みが尽きない洋服になぜこだわってしまうのでしょうか。
洋服を着るにあたって周りの目は気にしてしまいます。
誰とどこに行き、何をするというのは正直スタイリングに影響してきます。
オシャレをする目的とは一体なんなのでしょうか。
友だちにオシャレだと思われたいからなのか、モテたいからなのか。
そんなところだろうと思っていました。
でも結局は、私にとって洋服は究極のナルシズムの果てであると思います。
何度も鏡を見てしまうほど気に入ったスタイリングができた日。
こんな服を着て出かけるんだと決めて、着るのが楽しみすぎて眠れない夜。
これを買って、あれとあれに合わせたらおいおいヤバいじゃんと想像するだけで胸が高鳴る瞬間。
この時のワクワクを求めて洋服に向き合っているように思います。
つまりは、TPOと絡めて自分が自分を見てオシャレだと思えることが何より重要なのです。
玄関の鏡を見て納得した格好で、扉を開けて胸の高鳴りとともに外へと一歩踏み出すその瞬間のために、洋服に向き合い続けているのだと思います。
洋服なんてただの外見にすぎない一方で、自己の最も外側でもあります。
極めて内向的な洋服選びが、最も外側に表出しているというアンビバレンスな感じも面白いんだと思います。
カッコつけてますが、もちろん友だちにオシャレだと言われたり、異性に褒められたりすると思わず踊りだしてしまうほど嬉しいです。
私と洋服には様々な矛盾が介在しています。
究極の自己満足であるが故、苦しさも悩みも尽きないのだと思います。
でも洋服について考えて、着るのが楽しくて楽しくて仕方がないのです。
基本的にnoteを書く時、ぼんやり書きたいことはいくつか用意してるのですが、基本的に書きながら思い浮かんだことをツラツラ文章にしているので、あとであーあれも書きたかったこれも書きたかったとなることが多いです。
今回もまだまだ触れたいことがありますが、これ以上は収拾がつかなくなりそうなので、ひとまずここで区切りたいと思います。
ここで、断りを入れておきたいのが、ここで書いたこだわりは全て自分に向けてということです。
人の洋服について、穿った目で見たり、排他的な思想で接している訳ではありません。
あくまで自分が自分の服を選ぶ際のこだわりにすぎません。
洋服を好きである必要も、こだわっている必要もないと思います。
また、人から言われることについても特に気にしてません。
なので、私に対して、洋服を腫れ物扱いせずに、話してくれたら嬉しいです。
キャッキャ喜んで会話すると思うので。
最後にもう一つだけ。
私にはカルチャーがないとお話ししました。
幼い頃からこだわって好きであり続けた"何か"がほとんどないと。
そんな私でも今では洋服に熱中しています。
今の時代、特に大学生は趣味がないと悩んでいる人も少なくないと思います。
結局なんでも良いんだと思います。
私は洋服という比較的趣味の中でメジャーな部類に心奪われていますが、マイナーでも世界中で自分だけが熱中しているものでも良いんだと思います。
そして人が熱中しているものは、その人のことが好きな人からしたら同じぐらい面白かったり、同じ沼にハマったりするんだと思います。
なので感想にくっつけてでも、くっつけなくてでも良いので、ぜひ私にだけでも話してみてください。
今は情熱の種でも構わないと思います。
好きなものを好きと叫ぶ幸せを、良ければ一緒に感じさせてください。
また別のテーマを挟んで洋服については書きたいと思います。
学術的な文章もまた別のヒリつきがあって楽しかったのですが、やはり自分の言葉で適当に書くのはとても楽しいです。
今年こそはサボらず定期的に書けますように。