子どもが熱を出すと思い出す
最近、2番目の風邪(発熱・咳)に1番目の咳。
そして保育園の洗礼を受けた3番目の下痢&鼻水と小児科通いのわたしです。
1番目は咳だけなので、学校に行ったり習い事に行ったりご飯も普通に食べられるくらいの軽症(?)ですが、2番目は39度超えの熱。
3番目は下痢続きなので、先週は2番目が。今週は3番目が保育所をお休みしています。
ウイルスとかは何も出なくて、原因不明。なんか流行ってるみたいです。
という感じで、ようやく3番目の慣らし保育が始まり、在宅で仕事をしている私からすると「1人でゆっくり仕事ができるぞー!!!うおーーー!!!!!」と気合の入るところではあったのですが、そううまいこといかず、慣らし保育前と同じような、というかそれよりのんびりお仕事をさせていただいています。
そろそろ仕事がしたいなあ。なんて大人の都合をぶつけたいところではありますが、会社勤めではなかなかこんな風に気軽に休めなかったので、子ども優先で動ける今の環境にありがたみを感じながら、看病に勤しんでます。
と、こんな近況をたらたら書きましたが、子どもが熱を出すと、自分が子どもの頃に体調を崩した時のことをよく思い出します。
何回か出てくる私の実母のお話。
どうしようもない母親だったけど、体調を崩した時はすごく甘やかしてもらったこと。
普段は2階で寝るんだけど、熱が出た時は1回に布団を敷いてテレビを見ながら寝られるのが好きだった。
普段は起こすと不機嫌な顔するけど、「気持ち悪い…」って起きるとすごく心配そうな顔をして、楽になるまで背中をさすってくれたこと。
治りかけで「何が食べたい?」との質問に「カリカリのシュークリーム(クッキーシュー的な)と梨と焼きプリン」という無理難題というかわがまますぎる答えに、急いで車を走らせ、近所のコンビニに買いに行ってくれたこと。(結局梨はコンビニになくて、というか季節外れでなかなかなくて、仕事帰りの父がスーパーを梯子して買ってきてくれた)
調子に乗った私は全部食べて全部出てきた。
体調不良で出てくる食べ物が好きだった。
・フルーツ缶・卵粥・くたくたに煮たうどん・ポカリ
正直、子ども優先で動くような人ではなかったけど、体調不良の時はすごく甘やかしてくれた。
子ども心に「ラッキーだけどなんでだろう…?」と疑問だった。
この前、その謎が解けた。
私の母は2人姉弟。
母は長女で2つ下に弟がいる。
母の実家の環境を何度か聞いたことがあるけど、母の育ってきた環境もそれなりに複雑そうだった。
若くして父になった祖父(16歳で母ができている)、アルコール依存症、イケメンだったので祖母はベタ惚れだったそう。
祖母はその10個くらい上で、祖父のアルコール依存の看病に必死になるうちに、パニック障害・うつ病を発症。
その後まもなく祖父と祖母は離婚。親権は祖母が持った。
母の弟(おじ)は、めちゃくちゃ祖父に似ている。
祖父に赤ちゃんぶりに会いに行った時(小学4年生頃)、あまりにおじとそっくりでびっくりした。(え?おじ老けた?みたいな)
そんなおじを祖母は溺愛していたようで(母から見ると)、体の弱かったおじは少しでも咳をすると、夜中だろうが祖母がおぶって病院へ連れて行ったそう。
そして、祖母は昔ながらの性格。「女は家で家事・育児」みたいな。
母は、幼い頃から家事の一切を厳しく躾けられたそう。
この前、祖母から電話がきた。
施設に入ってて寂しいのか、月に1回程度電話がかかってくる。
遠くてなかなか会いに行けないので、ひ孫の写真を定期的に送っている。
そんな祖母が話の流れでこの「夜中だろうが祖母がおぶって病院へ連れて行った」ということを話し出した。
「そのことを今でも恨んでいるんだって」
今、母はおじ以外の電話には出ない。おじの電話も1年に1回程度しか出ないらしい。
あー、なるほどなあ。って思った。
あの、体調悪い時に甘やかしてくれたのは、自分が小さい時にやって欲しかったことをやってくれてたんだなって。
そう考えると、恨みきれないんだよなあ。
こうやって、思い出すと楽しい思い出や、してもらって嬉しかったことがたくさん出てくる。
今、私はしんどい時はそばに夫がいる。
夫が頼れない時は妹弟や父のように実家に誰かがいる。
協力してくれる友人もいる。
母のそばにそうやって甘やかしてくれる人はいるんだろうか。
あの頃のように、溺れてはいないだろうか。
そんなことを私が知る術はないんだけど。
知ったところで、まだ一緒に溺れそうだから、近くにいることはできないんだろうけど。
そんなことを考えながら、子の看病をしている今日。
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