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いい母親として見られたい

ある日、いつものように夫と
大量の洗濯物を干していて気づいた。

私って、いい母親として周りに見られたいんだなって。

なんでそれに気づいたかというと
夫と私の洗濯物の干しかたが全然違うから。

私は、結構しっかり目にシワを伸ばす。
特に、タオルやガーゼは。

なんでかって
保育所に持っていくものだから。
シワシワのまま持って行ったら
「だらしない親だな」
って思われそうで嫌。

だから、当たり前に角はしっかりそろえるし
シワも伸ばす。

ちなみに子供用ハンガーは3種類あって
シャツは伸びやすいからこっち
ズボンはゴムが緩みやすいからこっち
みたいな感じで分けてる。

対して夫。
まっっっっっっったく気にしない。
びっくりするくらい気にしない。

シワもあるし
ガーゼなんて、正方形から菱形に形が変わってる。

ハンガーの種類だってきっと気にしたことないんだろうな。
だって端から使ってるもん。

何回か
「ごめん、ハンガーはこうして」
「シワは伸ばして」
って言ってきたけど
改善が見られないので後からそっと直してる。

一応やってくれることに感謝はしてるのでね…。

でね、その時に
「あ、私って人にだらしないって思われるのが怖いんだな」
って気づいたの。

そして、夫は何も気にしていない。

改めて振り返ると
私は、他人の評価に敏感なところがある。

人に嫌われてもいいし
人に嫌われてもそんなにダメージがないんだけど
私という存在に子どもがプラスされて
親という肩書きになると
どうも他人からの見られかたがすごく気になるみたい。

なんでだろうなって少し考えてみたんだけど
私は、10代の頃に子どもを産んだから
周りの人に色々言われることや
変な目で見られることがたくさんあったのね。

今、思い返すと
金髪で高いヒール履いてミニスカートでベビーカー押してたら
変な風に言われなくても視線は集まるよな
って感じなんだけど
当時の私は全て否定的に捉えてたの。

あー、私の行動や見た目って
子どもの評価に影響するのかなって。

それでも、見た目は変えたくなくて
だから、見た目以外の行動で示そうって思ったんだよね。

それが9年間続いて
いつの間にか「ちゃんとした母親」に
囚われるようになっちゃった。

別に、それでも自分が納得できたらいいのかもしれないけど
それが時にすごく重たくて。

何より、子どもを怒る理由が
「私がだらしないと思われる」
になる時もあって。

子どものために叱るんじゃなくて
私のために怒っている時があるって気づいて
なんか、それはダメだよなって
気づいて反省した最近です。

ある時、前職の先輩に
「子どもには子どもの世界があるから
親は関係ないのよ、その子の人生だし」
って言われたことを思い出して
そうだよなって。

子どもの人生の主人公は私ではなく子ども。

あくまでも私はサポート役。

でしゃばりすぎてたことにまた気づいたよね。

私から見るとだらしなくて
「本当もうさちょっとしっかりしてよ」
って思う夫の行動から気付かされました。

ありがとう夫。

でも、もう少し洗濯物のシワは伸ばしたほうがいいと思う。

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