絶望してる場合じゃない
先日X(旧Twitter)でとある投稿を見た。
とても不快な気持ちになった。
不快どころの騒ぎではない。
得体の知れない絶望が襲ってきた。
産婦人科の診療は
特殊な診察台に乗って
下半身を曝け出して行われる。
そこに
美人だの不美人だののジャッジをする医者がいる。
私を診察し子ども達を無事に産ませてくれた医者が
どんな人だったのかわからない。
けれど、そういった人がいると言う事実は
「この医者もそうなのだろうか」
という不信感を私に植えた。
思えば、ずっと昔
私が子供の頃から
男性に選ばれる女性が正義と言ったような
価値観を植え付けられてきたかも知れない。
「魚を綺麗に食べられる人はモテるよ」
と小学生の頃に
親戚の叔母や歳の離れた従兄弟に言われた。
「そんな長い爪で作ったご飯
俺は嫌だな。食べたくない」
と夜職時代、客の男に言われた。
「よき母になりなさい」
入所した施設でそんなスローガンにあった。
そのどれもが
男の横にいる女を想定しているだろう。
魚を綺麗に食べられたら_
うるせー!
男にモテなくてもいい!
マナーとして必要とか言え!
長い爪で作ったご飯_
うるせー!
お前に作らねーから安心しろ!
そんな日は一生来ない!
よき母になりなさい_
よき母とは?
母にならなきゃいけないの?
母になりたくない人は?
もうさ、マジでみんなうるさいんだよ!!
そこにきて、妊婦の容姿のジャッジ?
いつになったらそのジャッジから逃れられるの?
若かったら
いい奥さんになりそうとか
モテるとかモテないとか
結婚してたら
子どもはまだとか
妊娠したら
旦那とセックスしてるんだって見られて
ババアになったら
老けただの劣化だの
もう黙ってくれよ!
第三者の評価なんて求めてないんですけど!
自分が素敵だ、幸せだ
と思える生き方してたらなんでもいいじゃん。
女は男の付属物じゃないんですけど。
はぁーーーー、
少し大きい声出したらスッキリした。
けどね、きっと前に比べたら
生きやすくなったんだと思う。
昔だったら
「ね。美人って言ってるんだからそれでいいじゃん」
がまかり通ってたと思う。
でもね、それって
先人達が大きな声を出し続けてくれたからだと思うんだよね。
なんでもそう
女の人の社会進出も
男性の育児参加も
声を上げる人がいなかったら何1つ変わってなかった。
絶望している場合じゃない。
これから先、生きていく若者が子ども達が
何よりも自分が息をしやすいように
自分自身の幸せをに向かって生きていけるように
私は声をあげる。