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大火の犯人(旅先ショート①)
今回の舞台:光明山(静岡県浜松市天竜区)
いつもより胸が高鳴る金曜。横川はベッドでスマホをいじっていた。何かいいことがあるらしく、昼間よりも表情が柔らかい。その表情で仕事すれば、もっと出世だって望めるはずだが、横川は出世のしゅの字も考えたことがない。横川の頭はいつも山登りに支配されている。
「明日はここにしよう」
横川は浜松市の光明山に目を付けた。自宅がある静岡市から約二時間。景色のよさそうなスポットがあった。横川が目指すのは浜松市天竜区。そこに遠江のマチュピチュと呼ばれる遺跡がある。かつての山岳寺院跡が残っていて、浜松の絶景百選にも選ばれている名所だ。
横川は事前のリサーチを大事にする。せっかく行ったのに知りませんでしたじゃ山の味が落ちる。最初の一口で全てを平らげたい大食漢なのだ。だが、彼は大食漢の前にサラリーマン。今日も残業を四時間こなしているから、既に山登りは今日の予定となっている。
「かつて火事で焼失した伽藍跡が……」
結局疲れには抗えなかったようで、山の詳細を調べながら夢の世界入り込んでいった。
「ここ……どこだ?」
横川は道に迷っていた。いわゆる遭難というやつだ。昨日は調べる前に寝てしまっているし、こうなるのは仕方がないのかもしれない。横川自身もそれを自覚していた。
「さぁ、どうしようか」
横川は冷静だった。流石に長く山を登っているだけあって、窮地の乗り越え方には定評があった。その場でくるくると回りながら対策を考え、まずは腹ごしらえという結論に至る。
近くにあった朽木に座りおにぎりを頬張り始めた。おにぎりを頬張っていると近くから物音が響いた。登山道から外れているから獣もいるのかと思って、食べるのを辞めて身構えた。徐々に音がこっちまで近づいてくる。横川は武器の代わりにおにぎりを構えて声を張り上げた。
「誰だ。俺のことを食おうものなら俺が食っちまうぞ」
そいつは横川の音に怯まず近づいて来る。まだシルエットは見えないが、何だか懐かしい香りが鼻につく。
それは横川の相棒の香りだった。同じ遭難仲間だと胸を下ろしていたが、正体は遭難仲間でも人でもなかった。
「おい! 何で人間がここにいるんだ」
横川は目を点にして驚いた。物音の主は四本足だったからだ。チョコレートのようなツヤツヤな毛には、至る所に黒ずみが見られた。頭についている大きな角も、同じように黒ずんでいる。なんと正体は大きな鹿だった。
だが、横川が驚いていたのは鹿との邂逅ではない。鹿が煙草を加えていたからだ。
「お前は何者だ。というか何で鹿がメンソールを吸っている。俺を襲うつもりなのか」
横川は、鹿が昔の相棒を吸っている事実に驚いていて、言葉を話すことに違和感を抱けていなかった。何故か、鹿は喋るものだと認識していた。
「まずは私の質問に答えてもらおうか。ここは登山道ではないはずだが」
「迷ったんだ。気づけばここにいた」
「そうか……」
鹿は神妙な顔で俯いている。大きく煙をふかすと横川に問いた。
「ここで私を見たことは内緒にしてもらいたい。私は神の使いなのだ。もし言ったら、お前は未来永劫苦しむことになるであろう」
ちなみにだが、横川は勘がいい。この神の使いと自称している鹿は何かを隠している。それを確信していた。
(この鹿は神の使いと言っている。ならば見られたくない理由……ああ分かったぞ)
「神の使いであられましたか。実は私もこの辺の神様と仲が良いのです。ちょうど会いに行く予定だったのですが……煙草お好きなんですね」
「なんと。天狗様と仲がよろしいようで……何をすれば黙ってくれるのでしょう?」
横川は勝ちを確信していた。頬が緩みかけていたが、もう一度引き締めて鹿を見つめる。ビンゴだ。
この鹿は神様に隠れて吸っていた。その気持ちはよく分かっていた。今は煙草を辞めていたが、昔はいろんな場所で隠れて吸っていた経験がある。
横川は悪巧みを始める。こんな面白い状況を利用しないわけがない。
「では二つお願いがあります」
「なんなりと」
「一つは、私を上まで案内していただきたい。道を迷っているのは事実なんだ」
「分かりました。案内して差し上げます。それとあと一つは何でしょう?」
「そうだな……」
横川は間を置いた。
「じゃあ、そのメンソールを分けてくれないか? 一本でいい。一緒に上を目指そうじゃないか」
鹿も悪人面に共鳴して、ニヤついていた。
「そうですか。ではご案内しましょう」
「人間に姿が見られてもいいのかい? 君は神様の使いなんだろう」
「問題はございません。ここならどうにでも言い訳がつきます」
「どう言う意味だ?」
「さぁ?」
横川は鹿のおかげで登山道に戻ることができていた。登山道を歩けば、他の人にバレるのではないかと疑問に思っていたが、久々の煙草が思考を放棄させていた。
今、二人は山の上の寺院から遠州を見下ろしている。目下には絶景が広がっているが、絶景には目もくれずに色んな話題に花を咲かせていた。
「ところで鹿さん。君はどうして煙草を吸うんだい? 俺はそんな鹿を見たことないよ」
「分からない。それはあなたも同じなのでは?」
「それはそうかもしれないね」
鹿は立派な喫煙者だった。横川もかつてはそうだったから、痛いほど気持ちが分かる。
「辞めようとは思わないのかい?」
「昔は思っていました。でもダメなのです。だから私はここにいます」
「どう言う意味だ?」
鹿は言うのを渋っていた。誤魔化すかのように煙草をふかす姿が、横川には滑稽に映っていた。気になって再び話しかけようとしたタイミングで、鹿は重い口を開けた。
「近くに秋葉山という山があります。私はそこで天狗様にお仕えていたのです。しかし、煙草がバレてしまい、追い出されてここに来ました。『辞めるまで戻ってくるな』と言われています」
「その天狗様は厳しいのか。人間は多く者が吸っているし、多めに見てくれてもいいと思うけどね」
「ありがとうございます。でもあの山は特別なのです……秋葉山の天狗様は火防の神様なのですから」
「君は馬鹿だね。鹿だけに」
横川の言葉に鹿は俯いた。咥えていた煙草を地面に落とす。鹿の目は死んでいる。神様に仕える身としては何か思うところがあるのだろう。横川は言った言葉を撤回してあげようと思ったが、鹿が顔を上げてこっちを見た。
「だってぇー。天狗様厳しいんだもん。私は悪くない! 強いて言うなら、煙草を置いて行った人間が悪い! 私は何一つ悪くないんだ! だって神様が喫煙所作ってくれないんだもん。『火防を司るのにそんな物作る馬鹿がどこにいる?』なんて言うんですよぉ……」
「えっ……」
さっきまで威厳を保っていた鹿がうめき始めた。赤子のように地団駄を踏んで地面を慣らしている。これが化けの皮が剥がれたということだろうと横川は納得した。
なぐさめてあげないと、これ以上は自分の帰り道が破壊されると思い、赤子に話しかけるような優しい声色で話しかけた。
「わかった。君は超がつくほどのヤニカスで、ドクズだ。確かに天狗様は正しいかもしれない。けど俺なら君の気持ちもわかる。俺もドクズだったけど、煙草を止めることができた。君もきっと大丈夫だ」
「ちが―う。私は辞めたいと言っているわけではない! どうにかして吸う手段を探しているだけなのだ!」
(もう手遅れだ)
横川はドクズを相手にしていたことを自覚した。こんなので神様に仕えているのが想像つかなかった。
「分かったよ。煙草が好きなのは分かった。もう止めやしない」
「ところで……」
鹿はまた悪巧みを始めたようだった。さっきまでヒステリックに騒いでいたのに、急に悪人面に戻っている。
「あなた、さっき渡した煙草をいつのまにか吸い終わっていたのですね。もう一本どうですか? たまには人と話すのも悪くはない。何とかして対策案を考えてはくれないだろうか。あなたも喫煙者なのでしょう」
「ああ、もう一本貰おうか」
二人のクズは、一時間ほど談笑して山を下った。
急に場面が変わり夜になる。横川は衝撃のニュースを目にしていた。
「何だって! 光明山が燃えているじゃないか!」
ニュースに映し出されていたのは、今日登っていた光明山の寺院だった。あんなにも美しい伽藍だったのに、激しく燃え盛っている。横川の頭には一つの懸念が浮かんでいた。
「俺たちの吸い殻とかじゃないよな……」
背中を冷や汗が伝う。一度考え始めてしまえば、原因なんて無限に浮かんでくる。浮かんでくるたびに、横川の頭を侵食して行き、罪を犯したのだという事実が重くのしかかっていた。
「おい横川! いるんだろ。分かってんだよお前が犯人なのは!」
目をキョロキョロとさせていた横川は、その声で我に帰る。
「え? バレてる⁉︎」
自室の窓が何者かによって叩かれていた。幸いにもカーテンを閉めていたから居留守を決め込むことにした。
「いるのは分かっている。お前が居留守を決め込もうとも私には関係ない。入らせてもらう!」
窓が無惨にも散っていた。細やかな破片が夕日に反射して幻想的な風景となる。そこには、夕暮れの背景がお似合いの天狗が立っていた。
「て、天狗⁉︎」
「横川。お前を始末させてもらう。あの辺を取り仕切るものとして今回の罪は頂けない。ご覚悟を!」
「うわぁーー」
翌日。横川は光明山の寺院跡に来ていた。聞いていた通りの絶景だった。幻想的な石垣が残っていて、周囲に花が咲き誇っている。階段が崩れかけているのが、余計に神聖な雰囲気を醸し出していた。
「この景色はすごいな……」
横川は階段を登った。その先が本堂となっていて、さらに奥に小さな祠があった。そこに近づくと、いつのものかも分からないペットボトルや瓶が置かれていた。
「山で煙草はダメですよ。また天狗様がお怒りになってしまいますから。これを差し上げます。煙草はほどほどにしてください」
あらかじめ持ってきておいたアイコスを供えて山を下った。
~静岡県浜松市天竜区光明山を舞台に~2024年5月24日①
先日登った光明山を舞台に書いて見ました。火防の神様として有名な秋葉山の近くにある光明山。ここには遠江のマチュピチュと呼ばれる山岳寺院跡があります。山の上の光明寺は火事で焼失してしまい、山麓の方に移転されました。
始めて3人称に挑戦したが、ムズイ。これであっているのかわからない。
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