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身体と意識がまるっと変わってしまった3日間の記録。

三月下旬のこと。

あるきっかけを境に、身体がまったく別人のように変わってしまった。


最近会う人にことごとく、
すっきりしたね。風呂上がりみたい。
エネルギーが変わってる。
散らかって余計なものがあったのがシャープになった。

と、言われるので、本当に大きく何かが変わったんだろうなと思う。


自分の感覚としても、わたしの意識と身体が二人三脚で動かしてる感覚に変わり、我慢はないのに、必要な時に必要なものだけを欲するようになり、食事のサイクルも食べるものも変わり、睡眠の質も変わり、身体に委ねてるだけ、おまかせ、努力なし。という感覚に変わっている。


変わる前までのわたしは、節制か暴食かが極端で、抑えようと覚悟を決めれば断食もするけど、一度崩れるとだらだら食べてしまうようなタイプ。
10年以上続けてるコーヒーも大好きだし、何かあればぺろっと食べちゃう。みたいな。身体の声を聞きたいと願いつつも、欲に負けてしまうような感じ。

そもそも、わたしは身体感覚がとても鈍いタイプ。疲れも認識しづらいし、マッサージを受けても、気持ちいいと感じにくいような、身体のこわばりが強いところからのスタートで。


体感覚の強い友人たちが、すぐに緩んだり気持ちよさを感じたりすることに、いいなあ…と憧れを抱いているような人だった。


自分を抱きしめてあげると安心するよ、身体をさするとよいよ、などセルフケアの話をきいてやってみるも、続ける程に何も感じられなくて諦める。そんなことが続いていた。


その昔に、血液や血管をデトックスできるものをやっていた時に、みんなが血管がクレンズされてすぐに若返る中、わたしはどれだけやっても血管が硬いまま。一向にそこが変わらなくて、周りの人もはてながでるレベル。

わたし以外多くの人が改善しているのに…?

その謎を残したまま、時は流れ。


三月頭くらいから、少し不調に気をつけて、見直してみて。という感覚がやってきた。


とにかく血流と暖めだなというところに行きつき、色々試みるもうまくいかない。


身体の冷えがどんどん強くなってきた頃、ふと「臓器に何か隠れてる」という気がしてきた。


すべては意識とエネルギー。


わたしの血管が頑ななのは、その意思があるからなんじゃないか。


そこに思い至り、身体の各機関と向き合いを始めたことから大きく変わって行った。


次からは、各臓器や器官に隠れていた呪縛とそのテーマ、解消の仕方とその後の変化について書いていこうと思う。


不思議だけど、臓器や細胞たちもそれぞれ生きているし、いつも肉体を動かす主の存在のために一生懸命働いてくれている。

そんなみんなのリクエストに答えて、大事にしてあげたい。


自分だけど自分じゃない存在という感覚になれたからこそ、余計に愛を持って労わりたいという気持ちが芽生えてきたなと思う。


このシェアが、誰かの同じようなことの気づきのきっかけになれば幸い。

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