悩んでいる

医学の本から学ぶ、ちょっと楽に生きるためのふわふわ確率論。

こんにちは。今回、私はシッダールタ・ムカジー氏のTEDブックス、「不確かな医学」という本を読みました。これをとっかかりに考えたことがあるので共有します。

検査機器は外れだらけ?

外れる確率が0.01%の医療検査機器があるとします。0.01%と聞いてどう思いますか?「信憑性はそれなりに高い。」と感じますか?

ところが実際は必ずしもそうとは限りません。三つの条件のもと、100000人が病気の検査を受けることを考えてみましょう。数字を見るのが嫌いならこの見出しの最後の方まで飛んで差し支えありません。

1. 100000人のうち病気になっている確率は0.01%

2. 検査機器が、本当は病気じゃない人に向けて誤診断する確率は0.01%

3. 病気を見逃す確率は0%

100000人の中で実際に病気になっている人の人数は、

100000 x 0.01 / 100 = 10人 です。

つまり病気になっていない人は、

100000 - 10 = 99990人 です。 要は、だいたい100000人です。

検査機器が病気じゃない人を病気だと診断する確率が0.01%あるので

100000 x 0.01 / 100 = 10人 が病気じゃないのに病気だと診断されることになります。

この場合、病気だと診断されて、本当に病気の人と、実は病気じゃない人は同じ人数います。意外と検査って当たらないんです。

確率を疑うことで確率が上がるかもしれない

私は何も「検査機器はあてにならない」だとか「ぱっと見の確率はあてにならないし、使えない」だとか、そんなことを言おうとしているのではありません。

この世界の確率は大体、数字だけをこねくり回したものではなくて、状況次第で変化するということが言いたいのです。

例えば、今回のケースでは病気の人がもっと多かったらどうでしょうか。そして、もう少し検査機器が間違いを起こす可能性が減ったらどうでしょうか。検査機器の信憑性がうんと上がるのが分かるかと思います。

この本に出てくる例でも、状況を把握してから検査をしたことでうまくいったことがあると書かれています。

つまり、そのままでは「確率が実は、低いかもしれないと分かった」ことによって状況を変化させ、「何らかのことを成し遂げる確率をあげる」ことができるのです。

確率は簡単に変わってしまう。だからこそ、状況を整えれば自分にとって有利な方に案外簡単に持ち込めるかもしれない。こんな塩梅に応用できるかもしれません。

確率を疑うことを知れば楽になる

さて、ここまで書くと「条件を整えずにあることに挑むのは無駄なのか?」という疑問が湧いてきます。が、私はそうは思いません。

例えば、先ほどの検査を受けるとします。確かに、病気だと診断されて本当に病気の可能性は低いです。とはいえ、病気と診断される可能性は低いですし、ここでは病気が見過ごされる可能性はないとしています。

つまり、大抵の人は「可能性が低い」検査で(それを時に疑っても、敢えて受けることによって)「可能性が高い」安心を得ることができます。条件を整えなくとも良い思いをすることはあるわけです。

この例では確率を疑っても疑わなくても安心を得ることができますが、疑った経験があれば、より、条件を変えずに挑む自分の行動に自信を持つことができ、少し楽になるかもしれません。

他にも、「確率を疑う」ことが真価を発揮する場面があります。

例えば、「確率が高い」と見込まれることを疑うことで、より万全を期し、可能性をあげられるかもしれません。失敗した時にも諦めがつき、原因(≒状況の変化)究明の態度につながるでしょう。

また、「確率が低い」ことを疑うことで、状況(自分のメンタルの状況でも良いのです)をいかなる形であれ変え、精神的にであれ物理的にであれ、成功につながるかもしれません。この時に「確率が低い確率」を少しだけ敢えて信じておけば万が一失敗しても気持ちが楽でしょう。

先ほどの検査について応用してみましょう。検査を待つ期間は「まあ基本的には大丈夫だろう。もしかすると間違って診断されるかもしれないけれど、その場合でも本当に病気の可能性はそれほど高くない。」と安心できます。その後、検査で病気無しと判断されれば素直に喜べばいいですし、病気ありと判断されても「実際には健康な可能性が十分にある」と冷静さを保つことができます。

■まとめ

確率は時に状況に応じ簡単に変化する。その不確実さを知れば、人生がうまくいくような心構えになるかもしれない。

こんなことをお伝えしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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