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生と食

 こんにちわ。久々にこちらで書きます。
 最近はブログを中心に書いておりますが、こちらでは、もっと徒然的なものを書いていこうと思います。

 先日、仕事中に近くでTVがついていて、何かの番組が流れていました。
 耳から入ってくる情報が気にはなったのですが、忙しすぎて少し足を止めてゆっくり見る間がなかったので、詳細は何一つわからないのですが・・・。

 ざっくり言うと、アメリカのどこか、自然の豊かな場所で、一度自然災害に合って以来、『自給自足できるようにならなくては!』と思い、やってみちゃった家族の話でした。
 自然災害に合って交通や流通が止まって生活に困った結果

「自給自足できるようになろう」

と考えるのも凄いな、と思ったのですが、実際やってみちゃう家族が凄い。
 その『自給自足』の度合いも凄くて、野菜だけでなく、肉や塩・砂糖などの調味料に至るまで、全て。です。

 ただ、積極的なのはお母さん、それを助けようとお父さんもがんばっている様子でしたが、これまでチョコレートやピザを食べて育っている子供達は不満の嵐。

 そりゃそうですよね。

 私が耳にしたのは不平不満を言う子供達と、食の苦労を語る両親の話までで、その後どうなったのか、番組がどうしめくくったのか、観ていないのですが・・・。
 聞いたところでは、野菜が不作だったり、森を巡って食べられるものを探し回ってもなかなかなかったり、狩りをしようにも獲物が見当たらなかったり・・・かなり大変な様子でした。
 そうでしょうね、と思いつつも、でも、それが昔の暮らしだったのだと思うと、今の暮らしに、そして人間同士がお互いに協力し合って形成してきたこの社会に、するしかありません。

 その番組で私が聴いた範囲では、食に関することしか話ていませんでしたが、他にも野生動物(熊とか狼とか絶対居そうな所だったし・・・)に襲われたり、何かの拍子にけがや病気をした時にはどうするんだろう、とか、外国では得体の知れない悪魔かと思うような人がひとけのない所に居たりする話も聞くので、ほんと怖い・・・。

 食料にしたって、野菜が育つのだって時間がかかるし、思うように育たないこともあります。もちろん自分で育てるのには種類にも限りがあるし、森に入ればいつでも食材が転がってるわけでもないし、毒のものもあるかもしれない。
 塩や砂糖も自分で精製して、日々何年も賄う量を得るためにはどれくらいの労力が必要かとか、狩りするにしたって銃を使うにしても(銃弾はさすがに買うんだろうけど・・・まさか、木製の道具なんてことは・・・!?)命がけのことになるでしょう。

 今の世界において、わざわざそういう暮らしをする、というのは賛否両論はあるところでしょうが、ともかく、昔の人間はそうして食料を得ることを中心とした人生だったと思います。

 それを考えると、今の私たちの生活は・・・。食べる、ということに関して、日本においてはほぼ困ることがなくなり、食べる、ということに対して重要性を感じなくなり、他の趣味や服装やそういった趣向品の一つとなっている時があると、感じることが多々あります。

 食べるってなんでしょうね。

 私たちの食は、果たして豊かになっているんでしょうか。
 たしかに、単純に食べる、というだけだったら不自由はしませんが、今、私たちの周りにある食品って、私たち自身で作った、カス(栄養素的な意味で)か毒がほとんどなんじゃないかな、と思ったり。
 何がカスかなにか毒かは、食べる本人が決めればいいと思いますが、こうして人間が様々に工夫して苦労して増やしている食品は、果たして、自然の恵みと呼べる食材だけを食べていた時とどれくらい変わるのかなぁ、と考えてしまいました。
 たしかに餓死が減ったり、寿命が延びたりしていますが・・・。明らかに食生活が原因となる病気が増えもしています。
 食生活を豊かにしよう、と熱望する原動力は、間違いなく自然の厳しさ、餓死の辛さ、に起因すると思います。
 でも、今の現代の食生活が、本当に私たちが望んだものなんでしょうか・・・。

 「食べたいものを好きなだけ食べられれば幸せ!」とか「あそこの店のアレが死ぬほど食べたい!」とか「腹がいっぱいになればそれでいい、健康なんて考えるのめんどくさい」とか・・・。

 それが悪いとは思いませんが、それだけに終始するのはどうなのか・・・その結果どうなるのか、それは本当に自分が望むものなのか・・・。たまに考えてもいいんじゃないかな、と思います。

 大昔、人間が一番に熱意を向けたのは「いかに食材を手にいれるか」でした。
 私たちが、夢!とか希望!とか未来!とか語れるのも、何故生きるのか、なんのために生きるのか、なんて考えられる余裕があるのは、腹が満たされているから。
 だけど、腹を満たすだけでは、夢も希望もないわけで。
 先人が必死になって、子が飢えずに幸せな思いをするために連綿と蓄積してきた知恵や技術や年月を、どう生かすのか・・・。は、今のところ、1人1人の心がけに掛かってますね。

 私も、食を考えている人間の1人として、生、食、その先のことを折に触れ、考えたいと思い、この記事を書こうと考えました。
 

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