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愉しく驚きに満ちた感情的食生活、イタリア旅編
胃腸や身体のことを考えず、感情で食事をしたイタリアの旅。思い返すと、とっても刺激的で楽しくてたくさん笑った。7日間はトリノでたこやきの出店手伝い、10日間をジェノバでひとり旅、20日間はナポリでホームステイをした。
特にイタリア・ナポリで過ごしたホームステイでは普通の食卓に混ぜてもらい、毎日が驚きに満ちていた。胃腸は疲労感で満載。風邪もひいたし、多分健康寿命は少し縮んだけど、イタリアの食生活を楽しんだわたしはいまとても元気です!(体重計には乗らないよ、ないから)
青のりまみれで食べたピエモンテ料理
トリノで開催されたスローフードフェスティバル。たこやき出店を終えた日、たこ焼きチームは青のりもしくは鰹節まみれで、揃いの赤Tシャツを着たまま、小洒落たレストランに来ていた。
サーモンやら、ユッケ的なものやら、疲れていて詳しくわかろうとしなかったのだが、とにかく上品でさっぱりとした味わいの料理が何品か。
数時間後には早朝のフライトに向けて出発するみんなは、「残された時間で出来るだけ食べてやるからな」と思っていたのにラストオーダーが近く、そこまで満たされず帰ることに。「もっと食べたかったあ」とかなんとか言い合って、ぼろぼろの身体でウマすぎワインを嗜んだ。「おいしいらしい」と聞いてきたピエモンテワインは、ほんとうに瞳孔がひらいた。ワインのことはよく知らないけど、渋みがなくひたすらに飲みやすかった。
疲労か乾燥かでなぜか鼻血をだしているメンバーもいた。その彼女のことを動画に撮ったりして茶化したささやかな打ち上げ。宙に浮いたまま食べたような疲労感と幸福感に満ちていた。
タッパーで炊く素朴なお茶漬け
旅の序盤、トリノでたこ焼きチームとお別れして、ひとりでジェノバに滞在していた。
日本から持ってきた、とっておきのレンチンお米炊きタッパー。せっかくならかわいいポケモンがプリントされてるやつを、と思って選んだ。スーパーでイタリア米を買って試してみたら、悪くない炊き上がりだった。
もちろん、土鍋で炊くような日本のお米には程遠いのだけど、お茶漬けにしてしまえば、「粘り気がぁ〜」とか「粒立ちがぁ〜」とかは問答無用。
スーパーのSUSHIコーナーで見つけたわさびチューブとか、渡航前に友人がくれた無印のちりめん昆布じゃこふりかけとか、色々合わせて食べた。
こうして素朴なことに安心できたから、「これからのヨーロッパ生活はなんか大丈夫そうだな」と思えた日だった。
スパゲッティの重力を、この地球に突き立てよ
イタリアという国を肌で感じた印象的な場面がある。
「あれは何だったのか!?」という衝撃で、その夜はずっと思い出し笑いが止まらなかった。ナポリでのホームステイ先のママ(以下、ママと呼ぶ)のワイルドさに笑い転げた。
イタリアといえば、パスタ。そしてパスタといえばスパゲッティ。わたしたちは、スパゲッティを茹でるために、スパゲッティを袋から出す必要がある。ワイルドなイタリア人は、スパゲッティの袋を垂直にキッチンにつきたて、「ドンっ!!!!」と、それはそれは誇らしげに、小麦粉の重力を地球につきたてる。そして袋は開く。スパゲッティは「ニョキっ」と袋から顔をだし、イタリア人のシビックプライドと腹を満たすため、鍋へと入れられる。
はあ〜。ため息がでるほど、おもしろ可笑しくてたのしい文化。わたしはこれ以後の人生は、スパゲッティを突き立てて開封することとする。
ママと話すと、「あれができるのはスパゲッティだけよ。他のパスタはもちろん、はさみが必要(笑)」と笑っていた。
世界のリゾート・アマルフィのまんまるレモンケーキ
ナポリに滞在していたとき、アマルフィという世界的リゾートのまちに行った。豪華客船に乗っていそうなシニアとか、ハネムーンとかに相応しいような場所に1人で行くことにも、段々と慣れてきている私。「みんな幸せそうじゃん?」と悟りと観察者の領域にはいっている。
風光明媚、断崖絶壁のまちをうっとりと歩く、歩く、歩く。アマルフィはレモンが有名で、お土産屋さんは黄色だらけ。秋晴れの太陽に照らされてとてもまぶしかった。
たった5-6時間の滞在で、食べたのはレモンケーキとレモンジェラートという甘々コース。わたしは知らないまちを歩くときは特に、胃袋の調子よりも感情で食事をする。後々にトラブることも多いけどね。
古くからあるケーキ屋さんで名物なのが、まんまるで真っ白なレモンケーキ。みんなが立ち寄るアマルフィの教会のすぐ横に店をかまえており、観光客しかいない場所。「せっかく来たからね」と奮発して7€。イタリアのケーキ相場では高いほうだ。
小ざっぱりしていて、レモンの香りも上品だったけど、空きっ腹で向かったのでガシガシ食べてしまった。空きっ腹にぶちこむケーキは飢えた身体に染みわたる。
「あたしもそれがほしいの」と言った隣の席のマダム。その艶やかな目つきが忘れられんねえよ。
しょっぱい海の味がするイタリア魚醤colaturaのパスタ
アマルフィ海岸の町々のなかにCETARA(チェターラ)というところがある。小さくてかわいい漁師のまち、ということを知って早速行ってみることにした。サレルノのまちを拠点にし、フェリーで向かう。
見えてきたのは本当にかわいらしい港町。このまちを舞台に映画を1本つくりたくなるぐらいには、かわいらしい場所だった。
カタクチイワシをじっくりと発酵させて作られる貴重な魚醤は、しっかりとしたガラス瓶に入れられて琥珀色に光りながら売られていた。
目抜き通りには海鮮系レストランが立ち並んでいたので、試しに食べてみた一番シンプルなトマトのコラトゥーラパスタは、すこししょっぱくて、ビールがすすんだ。
魚醤というと、真っ先に思い浮かべるのはナンプラー。それに近いような、でもナンプラーほど臭みもクセも強くなく、すこしお上品な味わいだった。
これを攻略すれば、イタリアンの名手になれるのでは。
伝統的な方法で魚醤を作り続けている「Nettuno」というお店に立ち寄ると、その作られている樽を見せてくれた。10€で買ったコラトゥーラの小瓶。いつどこで開封するのか?何を作るか…。わからないけど、日本に帰るまで、だいじだいじに取っておこうかな。
ティラミス一緒につくったら仲良し
この2ヶ月で、2回もティラミスを作った。
「へぇ〜、ティラミスってイタリアのデザートだったんだ!」ぐらいの知識量でイタリアに降り立ったにもかかわらず、私はいまドヤ顔でティラミスを作れるまでになったと思う。
一度目は、ナポリのホームステイ先で、ママと長女とその友達の女4人で。
卵を黄身と白身に分けたり、マスカルポーネチーズをまぜまぜしたり。白身はメレンゲをたてる。そして、ふわふわのティラミスクリームができる。そのクリームと「savoiardi」という棒状のクッキーみたいなやつ(初めて見た…!)をコーヒーにひたし、ガラスバットに敷き詰める。3段ぐらい重ねて、みちみちになった上にカカオパウダーをふりふり。
あの、スポンジの段ってこれで出来てたの?!と驚きを隠せない。スポンジは平たく切ったりして重ねてると思ってた。細長いクッキーみたいなものを敷き詰めてるなんて思いもよらなかった。
メレンゲづくりを怠らなければ、オーブンで失敗することもないし、ティラミスはとても気軽なデザート。なによりsavoiardiをコーヒーに浸して敷き詰める工程がワチャワチャしていて楽しい。学校の先生をしているママは、「まるで学校みたいね・・・」と笑う。本当に調理実習みたいだった。
ママの教えは、端数のsavoiardiをバットに入り切らなかったクリームを付けて食べちゃうこと。こういう、完成品の前のつまみ食いのターンこそ手作りの愉しみ。
そして、冷蔵庫で2時間冷やしたら、完成!
ティラミスはコーヒーを使うから、甘いだけじゃないほろ苦さが最高。そして、これを朝ご飯にも食べる。なんたる罪悪感。こちらの方々は平気でデザートやクッキーを朝から食べる。わたしは中途半端に知識をもっていて「低血圧ぎみの人の血糖値スパイクはよくない」とか「白砂糖はよくない」とか色んなことが頭をよぎりながら、起き抜けでふらふらの身体に「ただ甘くておいしい」ティラミスをぶちこんで幸せホルモン全開になった。
二度目はリスボンに来てからお世話になったイタリア人の友人と。ナポリで作ったときに美味しかったから、もう一度つくりたかった。実は友人はティラミスをつくったことがないというから、「マスカルポーネチーズをこんなに沢山買ったから、ちゃんとつくらないと!少し不安!」と言っていた。
わたしは、ナポリでやった通りに、メレンゲとクリームを合わせるときは空気を入れることを意識したり、すこし余ったクリームは端数のsavoiardiで食べたりした。あまりにもティラミスづくりを楽しみにしていたから、「楽しんで!」と言われながら、ドヤ顔で作り上げた。
ルームメイトのイタリア人たちも「ボーノ!(おいしい)」と言った。
そして翌朝。「ティラミスを食べよう!」という友人。「もちろん!!!」とウキウキしながらずっしり重いティラミスで一日を始めた。
ママのアッローラなインスタントポット料理
ママは力説した。
「リアルにガチでまじで!この機械はわたしの人生を救っている!」と。ママは、ほとんど叫ぶように話す人だった。それは型破りなほどで、穏やかに生きてきた人ならば3日もすれば耳を塞ぎたくなるぐらいのパワーで話していた。それがナポリ人ということなのだろう。
「アッローラ」とは感嘆の言葉で、「!?」を現すようなニュアンスらしい。ケセン語に置き換えるなら「ばばば」みたいな言葉。(独特な置き換えですみません)ママのこの言葉が今もリフレインしている。別のイタリア人の友達と話すときに使ったら大ウケした。
そんなママは、料理もパワフルで、“インスタントポット”にドカドカと具材を入れて何でもつくるスタイル。
私はここに来るまでその機械の存在を知らなかったのだが、どうやら日本でも売っているようで、電気圧力鍋らしい。
一番好きだったのはハヤシライス風のカレー。トマトソースと野菜を肉とカレー粉をぶちこんでスイッチを入れれば、ものの数十分でとろとろほくほくの煮込み料理になる。
お米もこれで炊く。お米、チキン、ほうれん草を全部ぶちこんだいわば炊き込みご飯も美味しかった。
水を多めにして、チキンと野菜をごろごろ入れてキチンのスープをとり、そのチキンスープでトルテリーニもつくる。チキンスープはマッケンチーズをつくるのにも使ったりと色々と使い回しが効くようだった。マッケンチーズはアイロンで固めるビーズみたいな、ストローを切り刻んだような小粒のパスタで食べた。それはアメリカで食べたことのあるマカロニのマッケンチーズとは違うものだったが、やっぱり美味しかった。
大好きになったパスタ、トルテリーニについては後述する。
働きながら二人の子どもを育て、なぜか私のような旅人を迎え入れるママの偉大な味方、インスタントポット。(ちなみにママの話ばかりするが、パパは単身赴任)
「わたしはいつか人生でインスタントポットみたいな圧力鍋型の調理器を絶対に買う」とママに約束した。
トルテリーニは洋風ミニミニ餃子三昧やん
イタリア料理に対して一般的な日本人の知識しかなかったので、「なんじゃこれ」と思ったパスタの一種かつ、お気に入りにランクインしたパスタが、トルテリーニである。
日本人の目線から言うのであれば、洋風ミニミニ餃子。もしくはシュウマイ?貝殻のように丸めたパスタ生地の中に餡が入っている。ヴィーナスのおヘソとか言われたりするらしい。
中の餡は、生ハムだったり、ほうれん草&リコッタチーズだったりする。
指でオッケーサインをだしたときの輪っかよりも小さいぐらいの一粒?で、それをチキンスープに入れてパルメザンとか溶ける系のチーズをかけたりして、20〜30個食べるやり方で食卓に出される。
はじめてステイ先で食べさせてもらった生ハム入りトルテリーニは、かなりしょっぱかったが、もちもちしていてとてもよかった。さすがに20〜30個は飽きるので、自分でつくるならすこしの量でいい。
スーパーに行っても冷蔵庫に入って売られているから日本への輸入は難しいんだろうか。カルディに留めておかないで、もっと大規模な輸入を強く希望したい。
お好み焼きを焼いて感じる、日本人として外の世界とつながること
ママは大学時代に日本へ交換留学で来ていたそうだ。日本語もけっこう話せるし、日本食が大好き。「お好み焼きだいすき!」というし、ちょうど鰹節をたくさん持っていたので作ることにした。
キャベツも肉も小麦粉もイタリアでは豊富にある。ところが、ソースだけは近場で手に入らない。そして、リサーチを重ねて割り出されたのが、BBQソース・トマトソース・オイスターソース・醤油を混ぜるという方法。これが余裕でお好み焼きソースになったので、やっぱり海外にでてくると「あるもので日本の味を再現する」という営みが得意になる。
子どもたちが驚いていたのは、ふりかけてすぐの鰹節が、ふわ〜〜ふにゃ〜〜と踊ること。わたしにとって当たり前のことを新鮮に見る人と出会うのは、やっぱりこれも海外にでてきてこその営みだ。
「日曜日の夕方に、お好み焼きとビールの組み合わせは最高ね!!!」とナポリのビール「PERONI」で乾杯した。満腹になって、いい日だった。
チョコスプレッドNutellaで血糖値の爆あげモーニング
イタリアの国民的なチョコスプレッドといえば「Nutella(ヌテラ)」だ。
チョコとヘーゼルナッツがベースになっていて、クセになる。
スプレッド系のもの全般の油が身体に悪いことは有名かつ、私ですらも既知だった。でも、わたしは「ここに来た」のだ。わざわざ、イタリアまで。だから、寿命や健康など、いっときは忘れていい。いつか後悔しても、仕方ない。そう思って西洋特有の薄くて小さいトーストにベッタリと塗りかためて、かぶりついた。3週間、ほぼ毎朝のように。血糖値を爆あげする朝は気だるく、不健康であった。
弟くんもこのヌテラをよく食べるので、朝の食卓で「塗ってあげるよ〜」とヌテラを塗ったトーストを渡すと、「ねえママ、これじゃ足りないもっと塗って」とママに塗り足しを頼んだ。やはり、イタリアンスタンダードには程遠かった。控えめなジャパニーズでごめん。
長女と焼いたお留守番マルゲリータ
インターナショナルスクールに通う子どもたち。
長女は、とてもしっかり者で、ママが言うには「学校でいちばん頭がよくてしっかりしている」という。イタリア語が第一言語だが、中学生にして英語もペラペラに話せる。
宿題をやっているときにも気をそらすことはなく、真っ直ぐに机に向かってしっかり終わらせるし、甘えん坊な弟の面倒も見るし、「ねえ、ジップロックどこにある?」とか聞いていくる世話が必要なわたしの面倒も見てくれていた。
ある日、学校のスクールトリップへは長女は行かないらしく、お留守番だった。彼女はその日、「ピザをつくろう!」といってママのレシピ本を開いた。
ピザ生地用のイースト菌と水、小麦粉。途中、電動ブレンダーの使い方がよくわからなかったけど、なんかふたりで試行錯誤したら動いた。混ぜた生地を2時間発酵する。
一目散に寝室へ行く長女。どうやらピザ生地は、「発酵しなさい!」となるとすぐさまベッドインされられ、布団と毛布までかけられる。なんと愛らしい。
そして、発酵が終わったらオーブンプレートに生地をひろげる。
レシピ本に書いていない絶妙なポイントで話し合う。「プレートに塗るのはオリーブオイルか?ひまわりオイルか?」とか「トマトソースはどうする?」とか。
イタリアの家で焼くピザのことはよく知らないけど、彼女のピザはトマトソースを塗っただけのもの。シンプルすぎて潔い。
わたしはチーズを乗せた。「ほんとはピザにはモッツァレラが合うのにないねえ」といいながら、スライスチーズとかポーションになってる6角チーズ的なのを乗せた。
焼きにかかると、今度は焼き加減がむずかしかった。わたしの準備したほうはプレートが小さく、分厚かったのでちょうどよく焼き上がったが、彼女のは薄かったので下のほうがカチコチになってしまった。完璧主義な彼女のテンションは爆さがり。「どうしてこうなっちゃったんだろうねえ」とアセアセするわたし。失敗したほうは、全然食べなかった。
13歳の長女との時間は、わたしが小さかったころの少女の気持ちを思い出させながら、いつかもしも自分が子どもを育てたらどうなるのか、という母の気持ちを想像させた。長女と仲良くなれた、だいじなお留守番の日の思い出にも、ピザがあった。
かたかったり、やわらかかったりのチーズ天国
アソート好きの人たち
イタリア料理を語るとき、パスタに言及するならば、チーズにも言及しなければならないだろう。パスタの種類も無限だが、チーズの種類も無限。
ティラミスにはマスカルポーネチーズ以外ありえない、ペコリーノ・ロマーノとパルミジャーノは違う。冷蔵庫には常に6〜7種類のチーズ。
ある時、友達家族の家で誕生日会があるというので連れて行ってもらうと、とにかくいろんなチーズがふるまわれていた。
かたくて小さくてコロコロしてるやつ、かためだけどうすくてスライス系、やわらかいコロコロ……とか。名前はよくわからなかったけど、彼らは何でもかんでもアソートするのが好きらしい。
いろんなパスタ、いろんなチーズ、いろんなハム…。アソート好き精神については寿司の国から生まれた日本人でも感服だった。
げんこつモッツァレラで締める滞在最終日
滞在最後の日、ずっとママが言っていた「大きなモッツァレラチーズを食べようね!」という約束を叶えてくれた。イタリアの食事を存分に楽しんでもらいたいという気持ちが嬉しかった。子どもたちもモッツァレラが大好きなようで、「モッッッツァレェッラたべた〜〜い」と騒いでいた。
話がそれるが、イタリア語における「ッ」の促音は、ほんとうに愉快。飛び跳ねてリズミカル。「モッツァレラ」と日本語でカタカナを読むように抑揚なく読むのでなく、イタリア人のマネをして抑揚をつけると、とても楽しくなる。なんなら、「モッツァレラ」ではなく「モッ↑ツァ↓レッ↑ラ」という感じ。
その夜たべたのは、げんこつ大のまんまるツルンとしたモッツァレッラチーズ。こんなことしていいの…?という罪悪感すらあるチーズ過多。
それを、サラミハム・わりと日本でもよくあるようなハム・生ハムの三種のハムといただく。その日の夕飯は、それだけなのだ。げんこつチーズと3種のハム。ワイルドで潔いが、胃もたれ必須。ここまでの日々はなんとか持ちこたえてきたが、この日ばかりは食べ終わってすぐに「御岳百草丸」を飲んだ。
初イタリアでナポリに長期滞在し、偏ったイメージのイタリアを形成
イタリアという国に事前知識はほとんどなく、サイゼリヤにいる天使たちがラファエッロの名画から飛び出てきていたことをイタリアに来てから知った。スローフードフェスティバルという食の祭典でのたこやきチーム参画が奇跡的に日程が合い、たまたまステイ先のママからメッセージをもらったことで、ナポリという町に3週間滞在することになった。
どうやらイタリアと一言に言っても、地域の多様性がかなりあるとのことだった。たしかにトリノとナポリの雰囲気は東北と四国みたいに、全く違うものだった。そして、ナポリというまちは、イタリアのなかでもワイルドでカオスなまちのひとつだという。
ママが説明してくれた「ここではルールを守る人は誰もいない!時間を守る人も誰もいない!」というのはやはり間違いではなかった。海外経験も豊富で、スリランカ人の夫をもち、インターナショナルスクールでアメリカ人と働くママは、ナポリというまちがクレイジーであることを自覚している。でも、「わたしはこのまちがクレイジーすぎると思ってた時期もあったけど、いまやナポリに染まり、時間間隔は薄れ、毎日爆発するように生きている」とエナジードリンクを飲みながら語った。(ママは自称カフェイン中毒)
まちは犬の糞だらけで、落書きだらけで、車が爆走していた。ママの運転は、運転が荒い昭和おじさんの我が父よりも荒く、ナポリを走る車の多くはベコベコだったり傷だらけだったりした。「わたしはこのまちで運転するのは不可能」と降参を宣言した。
そんな形で、ナポリを中心としてイタリア文化を吸収してしまったわたしのイタリアに対するイメージや経験はかなり偏っている。でも、わたしはカオスな現実を待っていたからこそ、ここでの生活でたくさん驚き、たくさん笑った。
ヴェスビオ火山が見守るナポリのまちへ、わたしはまた、胃袋を疲弊させにゆきたい。
そしてもちろん、イタリアの別の面ももっと見てみたいと思う。
グラッツェ、ボーノなピーポー!