やがて届く波紋
こんなにも誰かとずっと一緒に居ながら、
泣いて笑った日々は今までになかったと思う。
「友達以外の誰かが、そばに居ることはやっぱりいいよ」って親友に言われたときは実感なんてまだまだなかった。
あれから、まるで半年ほどあった空白の期間を埋めるかのように
何かから逃れるようなスピードで
冷えた指の先を暖め合うような感覚を持ち寄ってできるだけ一緒にいた。
だからなのか、こんな気持ちになるなんて思わなかった。
数年前に綴った言葉がまた巡ってきている。
かつては同じ屋根の下で暮らしていたけれど、
今じゃ会うのに新幹線で約3時間、高速バスで約9時間もかかってしまうよう距離に居る親友は、今でも同じように繰り返す。
「友達以外の誰かが、そばに居ることはやっぱりいいよ」と。そして「わたしの知らない、どんな人であっても、とにかくあなたの近くに誰かがいることは安心だ」とも。
誰かと生きるということは、容赦なく「今を、自分自身を生きている」と自覚させられてしまうことなのかもしれない。
故・樹木希林さんが内田裕也さん(この日記の時はまだご存命だった)のことを
「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」
と言っていたという記事を思い出す。
恋愛の副作用とは否が応でも自分自身に向き合わさせられてしまうことなのかもしれない。
わたしはまだ生きる意味など露程も知らないけれど、そういう結果の集合体が人生の醍醐味というものなのかもしれないな、とも思った。
絶え間なく流れ込む命の水に、あなたが吹かせる風がいつもわたしを揺らがせる。風が吹くから、揺れるのは当然なんだよ。
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