ごめんねばかりでいつもごめんね
いまだに好きになれないバンドの曲を、彼らが解散してずいぶん経つというのに今になってヘビロテしている。
どうも好きになれないとかなんとか言いながら、繰り返し聴いてしまうのはなぜなんだろう。執拗に「ごめんね」と歌う声が耳の奥でこだまする。
あなたのことは好きになれなくても、あなたたちの作ったこの歌は意味が分からないからこそ美しく煌めいていて好きだ。
このところのわたしは、すぐに気持ちが溢れてしまうから「ごめんね」と言いながら笑って、「ありがとう」と言いながら泣いてばかりいる。
そんなわたしを、彼はどうしていいか分からない頭を抱える代わりに、ただただわたしを黙って抱きしめてくれるのだった。
たまに「大丈夫だよ」「泣かないで」と頭を撫でてくれるのがとてもやさしいから、その心地よさにわたしはますます泣いてしまう。
一緒にいるときは出来るだけ楽しく居たいと思っているけど、切ない気持ちを隠し切れなくて途方に暮れてしまうくらいなら、いっそのこと不安や不満に怯えて漫画みたいに震えてしまう身体すらもまるごと渡してしまおうと思った。ふたりで途方に暮れる夜だって悪くはないのだと教えてくれる彼の存在は、前と少し違ってみえる。
時々、わたしたち根底の方ですこし似ているのかも、と思うことがあるけれど、その思いはすぐに裏切られてしまうくらいにはまるで違うふたりだ。
渡したものを取りこぼされたとしても、今のわたしたちに出来ることはただ一緒にいて、冷えた指先さえもがあたたまるようにと抱き合うことなのかもしれない。
「覚悟を決めた」と言われたってしっくりくるわけではないけれど、彼なりにわたしを大切に想っていてくれていることが明確に知れて嬉しかったあるとき、怖かったのはわたしだけじゃなかったのだと改めて知った。
自分の在り方に自信がなくて、「わたしがわたしでいること以上になにもしてあげられない」と泣いた夜に「そんなこと求めていない」と言ってくれたこと、溜めがちに「俺は自信あるよ」ときみが言って、それがなんだかちょっと可笑しくて、それからふたりして笑いあったこと。
この人は祝福されて生まれてきたんだな、と心からそう純粋に思える自分になんだか誇らしくなりながら、どこからか鳴り響く歓喜のファンファーレがわたしたちを包んでくれているように思った。
こんなの、まったく聞いていないよ?って言うくらい予想だにしていなかった未来を生きている。
何かと怖くなって泣きだしそうになるわたしを強く抱きしめてくれた彼のぬくもりを、何に置いても忘れない1年にできますようにと、やっぱり泣きながら祈った。
泣きやんだ頃にいたずらっ子のような顔で笑って見せたけど、わたしの願いはきっとずっとあなたの手の中にありつづけるような気がしている。