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小学校受験の冬季講習保護者会

小学校受験塾の冬季講習保護者説明会があった。

まず、今年の受験動向について。

前年度より受験者数が減っているが(コロナ禍では私立の手厚い教育に人気が高まった)、今年は例年通りに落ち着いた。

行動観察でよく出題されるもの
・グループでのコップやつみき積み
・グループでごっこ遊び
・ブロックを使って困難を解決する制作(机から机に橋をかけよう、など)
道徳的な問題(誰かが困ってたらどのようにしたらいいか?)

ルールへの理解と協調性、活動を積極的に楽しめるかが問われる。

受験にも繋がる遊び

神経衰弱(記憶力)
すごろく(サイコロと数字)
しりとり(ボキャブラリー)
福笑い(喜怒哀楽を読み取ろう)
間違い探し
迷路

点つなぎ
反転問題

テレビやYouTube、Nintendo Switchをやめて、昔の遊びをしようということだ。

新居にテレビを設置しないようにしようと思う。

私の心理的ハードル

長女には絵本の読み聞かせを大量にしてきた。
毎週図書館の限度額いっぱい(30冊)絵本を借りて読んだ。
小学校では読み聞かせのボランティアに入り、娘の学校に行って朝に子どもたちへ読み聞かせをしたりもしていた。

なつかしいなぁ。

しかし、娘の国語の点数はすごく低いのだ。

燃え尽き症候群みたいな、、母親が必死に絵本を読んだり、折り紙やカードで遊ぶ意味あるのかなぁ?みたいな、そんな気分になる。

一度やり尽くしている分、また同じことを繰り返すのかぁという、前に進まない同じレールに乗ってる感じ。
第一子の時と同じ母親の熱量が第二子には注げなくて、かかる労力と効果を考えてしまう。

1人の子にかかる大人の労力の多さ、それは贅沢である。

あと数年すれば大体の人が勝手に身につける能力を私が手助けする必要があるのか?みたいな。

点結びも、反転問題も、読解も
脳が成長すれば勝手にできるようになるのではないか?

とか思ってしまう自分がいるけれど、やらないよりはやった方が経験は積まれていくのも確かだ。

やるかぁ...

受験って、同年齢の子よりもできることを証明する行為だ。
並列ではいけない。

その競争は社会に出るまで続く。

本人が興味を持ってれば良いけど、そうじゃないならどうなのだろうか?とも思う。

興味を持ったことを潰さなければいいだけなんだけど、難しいね。

本来持っている素質に、親のエゴは勝てない気もする。

意地悪な子、優しい子、譲る子、駄々をこねる子、物怖じしない子、積極的に発言する子、声が小さい子
そういうのも躾ではどうにもならない気質が多少なりとも含まれる。

含まれるが、塾側では性格や気質を治せると信じて保護者に改善を求めてくる。
これは祈りだろうな。


行動観察が重要視されるのは、こういった気質を見抜きたいのだ。
対策をしてペーパーが良くてもこれで落ちる子がいることは確かなのだ。

ヒトは集団で社会を形成して発展してきた動物だ。

個人でも生きることができるようになった現代でも、その土台は先人たちの蓄積と集団にある。

ただ、規則正しい生活習慣や、季節行事、日本固有の遊びや伝統、モノの名前
箸やえんぴつの持ち方
服装やポケットの中の持ち物
マナー、作法

そういう地味な積み重ねの他者との少しの違いが、品となり、人を形成するのだろう。

「服装と言葉遣いと所作」

息子ちゃまと一緒に頑張るざます。

(幼稚園学習要領。文科省が定めたこれらの習得を受験ではみられたりもする)

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