アートと恋 萩原守衛

心が揺さぶられる

アートの定義が感動ならば作品はコミュニケーションツールであり、作者は自分の想いを自由に且つ技術を駆使して表現し、作品を通して多くの人と感情を共有する。

作者の想いが強ければ強いほど、または道のりが困難であればあるほど、その苦悩を経て表現されたモノは語り出す。

ヒトは不思議なもので、幸せな経験よりも苦い経験の方を鮮烈に記憶する。
太古の昔は楽観的に狩りに出るよりも悲観的に生きたヒトの方が生存率が高かったはずで、本能が苦い経験を二度と繰り返さないようにしている。
だから、幸福よりも苦悩を感じるものの方がヒトは反応を示すだろう。
芸術作品を眺めると痛みを感じるものが多いのは時代背景だろうか、それとも本能がその作品を印象に残すからであろうか。

作者の想いを汲み取ることができる鑑賞者はすごいと思う。
私は雰囲気しかわからない人間なので、作品が制作された背景を調べてようやく感動することができる。
作者の人生の物語に揺さぶられる。

今日はお散歩で立ち寄った美術館の感動を書き留めておこうと思う。

国立近代美術館

MoMAとはニューヨーク近代美術館で、表参道にはMoMA Storeがあり、そこから徒歩数分の学校に通っていた私は少しだけアートについて学んだことがある。
MoMAにTがつくと東京国立近代美術館(The National Museum of Modern Art, Tokyo)を意味するが、訪れる機会を逸していたのは今日のためだったのかもしれない。

近代美術として私が真っ先に浮かぶのはアンディ・ウォーホルのトマト缶やマリリンモンロー、カップの柄などで目にしたことがあるモンドリアン、柳宗理など日常をデザインしているものであり、アート雑誌を眺めたりしている影響か、芸術品は敷居の高いものではなく日常に溶け込んでいる感覚もある。
街中、特に東京はパブリックアートで溢れている。

学生の頃は六本木ヒルズにあるブルジョワの蜘蛛、ママンの下で写真を撮ったりもした。
若い頃は感じられなかったことが新鮮に再認識できるのは楽しみ方を変えたからだ。

作者のストーリーを彼ら自身の技術を用いることで目を凝らした人に伝わった時、本当の意味でモノがアートになる。

絵の具や金属、さまざまなモノが鑑賞した人に語り出す。

モノの中に埋め込まれた感情は、文字を持たないために各々で異なった見方ができるのが美術品の良さである。
一人として同じ人生がないように、感じ方や琴線に触れる場面はそれぞれだ。

物語が私の感情に触れた時、初めて作品を作品として認識できる。

今回訪れた東京国立近代美術館の展示では締め付けられるほどの痛み伴う恋と邂逅した。

新宿中村屋と荻原守衛(碌山)

相馬家が東大前の"中村屋パン"を居抜きで買い取ったのは1901年のことであり、現在もカレーなどの商品で有名な新宿中村屋となる。
夫妻は事業を大きくしていく中で芸術家を支援しはじめたが、これが事業家の妻黒光と荻原守衛との恋の始まりである。

芸術家のパトロンとして中村屋が存在し、結果的に多くの作品を中村屋サロンが生み出したためか、MOMATのワンフロアはほぼ彼らの作品で埋められていた。

その中でも裸体の女性が両膝をつき両手を後ろに回して苦しそうな表情をしながら上を向いている作品が印象に残る。 

"考える人"のロダンに師事し、彫刻家になった荻原守衛(碌山)の作品である。

女 荻原守衛(碌山)

芸術品を創るという行為は多くの時間と手間を要する。
ブロンズ像を造るにはまず粘土を作品の形に削り、石膏で固めてから粘土をかき出し、鋳造する。

女のブロンズ像を自分の人生を費やしながら創り上げた男性は、何を想ったのだろう。

私は今まで荻原守衛のことを知らなかったので、初めて鑑賞した時は女性への唯ならぬ特別な気持ちを感じて、心がざわついた。

この【女】は重要文化財であり、新宿中村屋の創始者である相馬愛蔵の妻、良(黒光)を想って作られたとされている。

美術館で守衛の作品に出会った後に背景を知った奇跡と、彼に似た人と出逢えた奇跡が私の痛みを露出させて、涙してしまうとは想像してもいなかった。

祈りが痛みを伴って目の前に表現されていた。

以下からは碌山の作品を紹介していきたい。

文覚

文覚 萩原守衛(碌山) 1908年

文覚と名付けられたこの作品は、腕を組み、目を見開き、険しい顔でそっぽを向いた構図で制作されている。

文覚とは、元武士遠藤盛遠のことであり、人妻・袈裟御前に恋をしたため僧侶になったとされる人物である。
「夫と別れて自分と一緒になれ」と女に迫り、女の頼みでその夫を殺害しようとするが、女は夫を救うため自ら身代わりとなって盛遠に殺される。
女は貞操を守る為に、自らを盛遠に殺させた。

碌山はこのころ、自分のパトロンである相馬愛蔵が不在時、彼と黒光の子の面倒をみるなど、黒光と親密な関係であった。人妻へ恋をしたら恋した人を殺すこととなるという、衝動に対する強い戒めが表れている。

また、黒光は女学生時代に「英文で『袈裟御前』を論ぜよ」という問題に答えていることから、守衛は黒光と共通する知識を使って彼女に解る様に表現している。
文覚を通して、自分への戒めと袈裟御前に投影した黒光の立場への理解を表現した作品と読み解ける。

黒光は「袈裟は盛遠の狂的な情熱に、心底いささか動揺したのではあるまいか。(略)かたがた生きた人間の複雑な心理を無視して、杓子定規な道徳一点張りで彼女を律することは当たらない。袈裟としても、単なる貞女としてほめられたのでは浮かばれないであろう。」と当時の試験では解答していることから、もし彼女が守衛を盛遠に投影したのならば、狂的な情熱の愛を感じたこととなる。

人妻が夫以外の男性から愛されると、心の中に相反する欲求や感情が生まれて苦悩するはずだ。
感情が狂的であればあるほど、応えるためには誰かを深く傷つけてしまう。
妻と母と一人の女性としての複雑な感情が巡る。

デスペア

デスペア 1909年

despairとは絶望のことだ。
絶望と題した彫刻は、女性が悲しみに打ちひしがれて地に伏している。表情は窺い知れないが脚よりも深く頭を地に落とした構図により悲壮感が充分に伝わる作品であり、文覚の雄々しさとは対照的である。

デスペアの制作された背景には、黒光が守衛(碌山)に夫愛蔵が浮気をしていると相談をしたことが関係している。
1909年当時の愛蔵は新宿中村屋を現在の本店ビルの場所に移すことをしており、実業家で忙しく、さらに不倫をしている夫は家庭に割く時間が著しく限られていたのであろうか。

黒光は深く傷ついていたが、彼女のお腹に夫の子がいた為に葛藤したはずだ。
夫から愛されていないと感じる黒光が、その夫の子を孕んでいる。母親として生きていくこと、そして碌山の想いに気づいている黒光の苦悩は、碌山自身にどう影響したのだろうか。
「夫と別れて自分と一緒になれ」という文覚を、相手の幸せを考えて耐える戒め格好で彫刻してから翌年にデスペアは制作されている。
祈り似た声を聞いたことがある私は、守衛の行動や想いに動揺した。
守衛は一途に黒光を愛していることが伝わる。
作品を制作するという守衛の行動が、より彼女を想う気持ちを確固たるものとしているのであろう。

黒光には妻や母という役割と義務がある。
義務とは役割に応じて当然果たさなければならない務めであるし、道徳上普遍的にそうあるべきことであり、法律によって課されている拘束でもある。
冒頭の女という作品には、この拘束的な構図が見てとれる。

社会とは集団と役割で成り立っており、ヒトは社会生活をする生き物である。
そして家庭は最小単位の社会であり、営むなら秩序と儀式が重要である。結婚などの儀式をした後に、それに伴う理念に縛られる。

社会学者のデュルケームは社会が豊かになっても、人々は満ち足りて大人しくはならないという。逆にもっと欲すると自分の規範が緩み、それ故に拡大していく欲は無秩序となる。
文覚で表現された戒めとは秩序である。

日本という社会に属して秩序を乱さず生きていくことが、日本人として刷り込まれた規範に沿うように促す。

黒光の絶望と、碌山自身の黒光に対する叶わぬ恋が同時に表現されたデスペアから、どうすることもできない現状と感情の波を感じた。

母と病める子

母と病める子 1910年

その翌年、黒光の次男襄二が病に侵される。
碌山は母親である黒光と子の襄二を、襄二が亡くなる前日まで描き続けた。
母親に抱きしめられた子はただ静かに眠っているだけにみえる。

彼女が1番辛いときにそばにいて、襄二が生きている間に芸術作品にして後世に残す行動を取った碌山からは深い愛情を感じる。

100年以上前に亡くなった子のことを多くの人が偲べるのは彼のおかげである。
襄二と黒光はこの先も碌山の作品によって人の目に触れて何百年も残り続けるであろうし、きっとそれは幸せなことだ。

私の心を震わせるのは、痛みを伴いながらも彼女に寄り添った碌山の心情や、母としての悲しみが容易に想像できるからだ。
子どもを亡くした傷は癒えることがない。

そして母と病める子を描いた同年、碌山が制作したのが女である。

女 1910年


碌山は作りかけの女を冬の間に凍らせないため、着るものや毛布、身の回りのものをかけてやり、自分は寒さに震えた。

その女が完成してすぐ、碌山は血を吐き30歳で亡くなった。
この作品は岡田みどりをモデルにして制作されたが、アトリエで彼の死後に発見された彫刻は、子が"お母さんだ"と認識するくらいに黒光に似ていた。

黒光自身も
「私はこの最後の作品の前に棒立ちになって悩める『女』を凝視しました。高い所に面を向けて繋縛から脱しようと、もがくようなその表情、しかもその肢体は地上より離れ得ず、両の手を後方にまわしたなやましげな姿体は、単なる土の作品ではなく、私自身だと直感されるものがありました。胸はしめつけられて呼吸は止まり自分を支えて立っていることが、出来ませんでした。」と語っています。

亡くなった碌山が残した作品が語る。

デスペアで深く地に伏せていた女性は、翌年起き上がり顔を天に向けている。

束縛されている様な仕草と表情は家庭のしがらみと子を亡くした彼女の悲しみ、それに対抗する様に真上を見上げるように制作された彫刻から、碌山の黒光に対する祈りがみてとれる。

祈る人は美しい。
愛する人への強い祈りが具現化されたから、重要文化財となったのであろう。


最後の作品となる女は、彼が愛した女性が立ち上がろうと右足を少し前に出しているようにもみえる。
彼女がこの先の人生を全うする上で、碌山は自分の死を意識していたのだろうか。

人生で最も尊いものは愛である。
深く愛された黒光は困難のなかに幸せも見つけているであろう。

愛は芸術、相剋は美なり 
Love is Art, Struggle is Beauty.
荻原碌山

おまけ

相克:そうこく
1 対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと。例(理想と現実。愛憎。理性と感情。不安と好奇心。)

2 五行 (ごぎょう) 説で、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋 (か) つとされること。「五行相克」

Struggle:もがく,あがく,努力する,(…と)戦う,争う,(…に)取り組む,苦心して押し分けていく


碌山の死因は静脈瘤破裂であったと可能性が高いとする研究結果を、碌山美術館の依頼を受けた医師が発表している。

物語の結末の芸術点が高い碌山は私の人生において印象に残る芸術家になった。

碌山の様な男性と出逢えたことも、碌山のことが好きと思える一因である。

男性目線の解釈も面白いなぁと思った
語り合うとより豊かになるからおすすめ



【参考】

文化遺産オンライン

新宿中村屋 創業史

国立近代美術館
https://www.momat.go.jp

碌山美術館

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