「負の感情=ゴミ」という私の痛感
嬉しいことや悲しいことは、この長い人生の中で何度も起こるだろう。
その時に浮かんだ感情をどう処理するかによって、その後の人生って変わってくるんじゃないかと思う。
嬉しいこと自体は割と表現しやすい。
こんないいことがあった! ラッキーだ!
人によってはTwitterやFacebookで、人によっては直接会話の中で表現するだろう。
でも、悲しいことっていうのは押し殺してしまう人が多いように感じる。
大丈夫だよ、なんて強がって言ってしまう。
私は父が亡くなったときがそうだった。
本当はもっと悲しみたいのに、学業や仕事があるから見てみないふりをした。
それこそ臭い物には蓋をしてしまえ!という感じで放置しつづけた。
でも、負の感情を放置するっていうのはよくないことだったなと痛感している。
負の感情ってゴミなんだよなぁと。
その時々で「ああ、私はこんなに悲しい。大丈夫じゃない」って素直に表現すれば正常に昇華される。
ゴミだって、その時々でちゃんと処理すれば臭くならない。
今は時間がないから今度まとめてゴミを出そう、なんて溜め続けてしまうとそれの処理すら億劫になる。
そうして、ゴミ箱の中でゴミは腐っていく。
ゴミの放置と負の感情の放置の結果は一緒だ。
心の中で負の感情が腐ってしまうと、その匂いにやられてしまって動けなくなる。
私も父の死について、その当時にちゃんと悲しいと表現していたら今こんなに苦しくなることはなかったんじゃないかと思う。
あの時のゴミがまだ私の中で腐り続けていて、処理をしても追い付かない。
たまにふとした瞬間にゴミ箱の蓋を開けては、むせ返るような感覚になる。
だからこそ、その時々の感情は、その時にちゃんと表現することをオススメしたい。
いつか、この心の中のゴミを片づけて、きれいに生きられますように。