決め手に賭けるの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
遊びなのに足がすくむ、という話を前回させていただきました。
遊びと対比することは何でしょう。仕事でしょうか勉強でしょうか。人によって違ってくる感じでしょうか。世の中的にはこの境界線がきっぱりと別れることはなくなってきたような気がします。この頃と言うよりか昔からそうなのかもしれません。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
仕事の時間以外に仕事の電話が鳴るとかメールが来る。と言った感じで遊んでいる最中でも仕事の対応を迫られるときがあったりなかったりします。
文明の発展で発達で便利になったのか不便になったのかは、立場によってかわります。時と場合によって変わります。不便ならば文明の利器を手放せばいいだけです。しかし、便利だと思っているから持っているので概ねはみんな便利だと感じているのだと思ったり思わなかったりします。
時間外のことは対応しなくてもいい。なんて方針の会社もなかにはあるかもしれませんが、困っている人をほおっておけない放っておけないのが性の人もたくさんいます。
線引きがグラデーションになっていきます。文明の利器がなくても、店先に来た人を無視するわけにはいきません。なんて人もたくさんいたと思ったり思わなかったりします。
朝早くに車が動かない。なんて時間外に家のドアを叩かれるなんてこともあったかもしれません。これはご近所付き合いのなのかもしれません。ただ自動車関連の仕事をしていると聞き、どうにかならないかと、藁をもつかむ思いだったのかもしれません。
コンビニエンスストアなんてない時代、文具店に宿題のノートを時間外で買いにいったなんてこともあったかもしれません。
と振り返れば、仕事の連絡や相談は、文明の利器がなくてもきっとしに訪れていたと思ったり思わなかったりします。わざわざ足を運んでいたのではと。
遊びと仕事の境界線は、きっと昔からグラデーションになっていたんだなと思ったり思わなかったりします。
そのグラデーションの幅がちょっと大きくなったのかもしれません。そんなこと自分で判断しろ。ということまでお伺いをたてているのをよく耳にします。
事務雑貨なんかを買いにいっていると、スマートフォーンで「赤と青の柄があるんですけれどどちらがいいですか?」なんてお伺いをたてる。
ボクがそれをお伺いをたてられれば、「好きなほうで」としか答えられない。が、電話口の人のその人は長々とやりとりをしていた。
何か重要なアイテムだったのかもしれないが、それならばその電話口の人が選びにきたほうがきっといい。
もうどっぷりと秋まっさかりなので、このあたりで。
ありがとうございます。
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