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sk21420416
『ほしあいのカニ』第0章(H先輩に捧ぐ、戯曲的ななにか)
第0章:彼女と彼
そこは屋上と呼ばれる空間だった。
地表とソラを隔てるそこで、
女はその夜、夢見心地で歩いていた。
そして欄干までたどり着いた。
建物の境界線にあり鉄格子に似たそれは作り物の光を浴びて、
星の見えない虚ろなソラに都会の檻を写しているよう。
やがて彼女はそれの向こう側に渡り、体重もその向こう側に預けた。
軋む欄干を握る右手だけが、そこに彼女をつなぎとめているようだ。
女1「……あかいめだまの さそり」(*)
クウを見つめる彼女の目には今どきなネオンサイン。
そのピンクに染まるまなじりは、意志に応えているようにみえる。
女1「……ひろげた鷲の つばさ」(*)
徐々にフェードアウトする歌声。
大きく伸ばした飛べない左手。
もう少し右手の握力を弱めれば、
彼女は街のノイズのなかに消えるはずだった……
男1「あんた!」
突然、男が暗闇から彼女の右手を掴む。
消えたのは街のノイズのほうで、
替わりに彼の声が屋上に響く。
男1「何してるの! あ、危ない! おちますよ!」
女1「あなた! 私と――」
男1「……?」
女1「セックスして!」
男1「は?」
思わず手を放してしまった彼と落ちていく彼女。
男1「あっ!」
女1「あっーーー!」
男1「……!」
なにかが派手に壊れる音。
幾千の静かな想いが叫びに変わるよな――
要はつまり、何かが始まる音楽だった。
『誰かに受け止めてほしかった』
『誰かに受け入れてほしかった』
『誰かに罰してほしかった』
『誰かに許してほしかった』
『でも誰かと分かり合いたかった』
『けれど誰とも分かり合えないと思った』
闇夜のなかで言葉がタイムラインのように浮かんでは流れていった。
(*)宮澤賢治『星めぐりの歌』青空文庫より引用https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46268_23911.html