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『ぼくらが旅に出る理由、ぼくらがタビに出る理由。』[Part 3](第1版, 900字, 私小説ショートショート, W011)
彼女の部屋に転がり込んで新しい生活を始めた頃に架かったその決まりの悪い電話は、心の善悪の岸辺に混濁した後悔のさざ波を立たせた――
善いかどうかはおいといて、あの夜、風俗くらい入ってもよかったんじゃないか? 純情と純潔を誇っていたわけはなく、中高の片思いは地元に置いて特別な女性もなく、下宿のポストに突っ込まれたデリヘルのフライヤーに写る紙切れのハニーたちを部屋のゴミ入れに放るまで視まわす程度に性欲を持て余していたわけで――いや、持て余していたのは薄っぺらなプライドで、ハニーに支払う紙幣がなかった。あったとして、それが助け舟になったのだろうか?
青春のさなかに自殺する勇気がなかった者は、生涯そのことで自分を責めるだろう
――結局その報せを、僕は出来事として記憶せず、ただイメージとして受け取った。
心の海の底で漂白し沈殿していたそれを、いま取り出して「事実」と言えるかは分からないけれど――彼は一般教育棟の非常階段の上から、柵を飛び越えて軛を解き放ち、「空を飛ぶもの」になった。
同じ大学に通う者なら誰もが訪れたであろう「般教棟」――講義終わりの合図が鳴れば、その大教室の扉からモラトリアムたちが潮のように流れ出す。その群れのなかに僕も確かにかつていたはずだ。
夕暮れどきのなか、公演の台本を抱え、彼の長台詞にどんな曲を当てるべきかと考えながらその扉を出たとき、ふと真上を見あげたあの非常階段から、重力加速度を味方に付け、鳥ならぬ黒い塊となった彼の躰が目の前に――
「そしてまた私は旅に出た
たどりつく場所は分からないけれど、いてはいけない場所はよく分かる
敵は誰だかわからないけれど、愛しい人が誰かはよく分かる
生きてる理由は分からないけれど、死ぬ理由だけはよく分かる
愛のルールは分からないけれど、ゲームのルールはよく分かる」