『ほしあいのカニ』第1章前半(H先輩に捧ぐ戯曲的ななにか)
第1章
1-1:「異世界転生しなかったので、もう少し現世でなんとかしようと思います」
1-2:The other side of……
1-3:その・ドス・取れっ?
1-4:カニとゴミ
1-5:トリのクチ、その先にあるウシのオシリ
1-6:夢から醒めて
1-1:「異世界転生しなかったので、もう少し現世でなんとかしようと思います」
そこは独り暮らしには少し広く見える彼のアパートの一室。
いまは真っ暗闇だが、あの二人の足音が聞こえてくる。
男1「散らかってますが――どうぞ」
女1「……お邪魔します」
その声をたよりに灯りがともる。
彼女は最初、落ち着いたカジュアルな恰好していたような気がしたが……
ずいぶんと、なんというか、コミカルなカッコになっている。
一言でいえばカニの着ぐるみを着ていた。
男1「……(笑いを我慢している)」
女1「……(非難する目線)」
男1「いや、明るいところでみると、やっぱり、すごいですね」
女1「……はぁ」
男1「あ、あのビルの一階、イベント会社が入ってたらしいんですけど夜逃げしちゃって、大量のゴミが残って問題になってたんですよね。いやぁ逆に良かったですね」
女1「逆にって何ですか?」
男1「えっ?」
女1「良いですか、この状況?!」
男1「いや、まぁ……」
女1「そういう説明的な台詞はいいんで! ……すいませんが、取るの手伝って頂いていいですか」
男1「あ、はい……これ、チャックとかないのかなぁ?」
彼は彼女が着ている着ぐるみを脱がそうといろいろと試している。
上に引っ張ったり、下に引っ張ったり。
彼女は彼女で何か力を入れているように見えるのだが……
女1「すいません、私、手が使えないんで」
男1「ええ……これまたキレイに入りましたよね」
女1「……褒めてないですよね?」
男1「そりゃあ、まぁ……」
女1「……」
男1「ちょっとすいませんけど、寝てもらっていいですか? ぬいぐるみ引っこ抜くんで」
女1「(うなずく)」
なんだか傍から見てると滑稽な絵面だが、二人はそれなりに真剣だ。
女1「はぁ……これラノベだったら絶対異世界行ってるやつなのにっ!」
男1「?」
女1「被り物の効果で異世界無双ってやつなのにっ!」
男1「えっ?」
女1「あ、いえ――」
『もう少し現世でガンバレってことか……』
男1「……えっと、もう取れないんで切っちゃいましょう。ハサミ取ってきます」
彼、急いで走り去ろうとする。
女1「あの!」
男1「はい!」
女1「カニだけに?」
男1「?」
女1「カニだけに!」
男1「??」
女1「ハサミ……」
男1「ああ!」
女1「……起こしてもらっていいですか?」
男1「あ、はい」
彼女を助け起こすと、彼は部屋から出ていった。
1-2:The other side of……
女1「しかし、この理不尽な現実をユーモアで乗り切ろうとする小粋さが分からないかなぁ」
取り残された部屋で彼女はひとり、カニから抜け出す方法を探っていた。
女1「っていうかなんか……昔もこんなことあったっけ?」
『高校の文化祭の日……』
男1「ごめん! こっちから呼び出しておいて……待った?」
女1「いえ、先輩、それは大丈夫なんですが……」
なんとか外見を取り繕いながら彼女は言う。
夕暮れの学校の屋上。
やってきた彼もそこにいた彼女もさきほどとは雰囲気が違う。
さっきより少し幼い感じで、彼はメガネをかけていた。
男1「……どうしたのそれ?」
女1「実は宣伝で着てた着ぐるみが脱げなくて……このまま来ちゃいましたゴメンナサイ!」
男1「そっか。ってかよくここまで上がって来れたね、それで」
優しく微笑んで、彼はすっと着ぐるみを上へと持ち上げた。
それはあっさりと脱げ去って……先輩は脇へとそれを置く。
彼女はその一連の動きを目で追いながら、口早に続ける。
女1「あ、ありがとうございます! なんだか……魔法みたいですね!」
男1「そんな大げさな」
女1「いやいや、大変だったんですよ」
男1「うん」
女1「それで、あの、話って――」
男1「うん」
女1「……あ、あの、大丈夫です私、全然うざくないですから、彼女風とか吹かせません! 吹かせませんし……無風? 凪? 凪です寧ろお暇!」
男1「?」
女1「先輩にはそういう女性のほうがあってると思うんですよ!
少し遠くから見守る背後霊、じゃない、天使のような?」
男1「? あ、ああ、うん」
女1「噂にならないよう細心の注意を払いますんで、だいじょうぶ……」
男1「……」
女1「……先輩?」
男1「ああ……お願いね」
女1「はいっ!」
男1「実は、お願いがあって」
女1「……はい?」
男1「フタバさんと、仲いいよね」
女1「はい」
男1「……これ、明日こっそり渡しておいてくれないかな?
あ、『噂にならないように』」
女1「……はい」
男1「ごめんね、明日、お願いね」
彼女に手渡した小さな紙片を残して、彼は去っていった。
女1「……そっか」
『私、選ばれなかったんだ』
いつの間にか夕暮れが夕闇に変わり、黄昏が彼女の影を色濃くしていた。
女1「でも……フタバちゃんああみえて結構ワガママだし」
女1「休みの日は化粧濃いし、ファッションセンスもちょっとアレだし」
女1「……処女じゃないし」
”どうして、それを渡してくれないの?”
女1「えっ?」
”だから、渡してくれなかったの?”
女1「それは――」
彼女にはその着ぐるみが話しかけているように聞こえているようだ。
”何に怒っているのかさえ、忘れてしまった?”
女1「あなた、誰なの? ……先輩?」
1-3:その・ドス・取れっ?
二人『えっ?』
彼女がそれに詰め寄っていた時、
息の上がった彼が現れた。
右手にはドス(包丁)を握って。
女1「あーっ!」
男1「ああ!」
二人『えっ?』
女1「えっ? ええっ?」
男1「えっ? いやどうしましたか?」
女1「いえいえいえ、何も、何も、何も!」
男1「あ、大丈夫です……ともかく脱げた――」
女1「脱げっ?!」
男1「えっ?」
女1「それは、まぁ、別に、そういう覚悟で付いて来てはいますけど、なんでしょう、その、そこまで力づくっていうのは、どうなのかなぁ~と」
男1「?」
女1「その、そういう、ご趣味ということであれば、可能な限り努力はしますが――」
男1「あの……なんか大丈夫ですか? 何か入れて――」
女1「もう?!」
男1「何が?!」
二人とも同時に話そうとして、黙る。
彼は右手で促そうとして、包丁の存在に気付いた。
彼女はそれを黙って指さして、彼は納得のジェスチャー。
ここからは二人黙ったままジェスチャーで会話をし始める
男1「(あれ! 着ぐるみ、取れたんですね?)」
女1「(はい! 着ぐるみ、取れました!)」
男1「(でもなぜ?)」
女1「(いやこれが上から下へとスポッと)」
男1「(いやそれは置いといて)」
女1「(置いといて?)」
男1「(……これ、そこに置きます)」
彼はそこにあったローテーブルに包丁を置く。
深呼吸するふたり。